7時起床、ルーティンとお勤め完了。
朝ドラを観ながら朝飯。
飯を食って着替えて、農協に肥料を買いに行こうと玄関へ出たときに来客有り。
従兄だった。
訃報を告げに来た。
「姉が亡くなった」とのこと。
返す言葉もなかった。
母がとりあえず上がれと言って従兄を促した。
救急車で運ばれたのは昨日の夕方だったそうだ。
今朝7時15分に息を引き取ったとのこと。
具合が悪いという話も聞いていなかったし
持病があるとも聞いていなかった。
従兄が戻ったあと、私はとりあえず農協まで行って
肥料と仏様のロウソクを買うて来た。
そして間を置かず、従兄の家に行った。
従兄は一人、泣いていた。
私には両親を含め連れ合いを含めると、おじおばが32人いる。
そのうち存命は18人。
自分と弟妹も含めて数えると、いとこは43人いる。
いとこたちの中で、初めての訃報だった。
とうとう自分たちの世代にまで魔手が及んできたか、と思った。
亡くなった従姉は73歳になったばかり。
いとこの中で一番若いのは30代前半。
幅があるが、いとこはいとこだ。
昼前になって本渡のいとこが従兄宅に来るという連絡があった。
帰ろうとする私を引き留め、居てくれと言うので
いとこが来るのを待った。
夫婦で来てくれた。
弁当も買うて来てくれていた。
私も一緒にゴチになった。
4時頃まで居て、私といとこ夫婦は従兄宅を後にした。
家に戻ると叔母が来ていた。
母と色々話していたらしい。
間もなく帰ったが、今夜また従兄宅に行くことにしていた。
大相撲を少し観て、少し遅い夕飯を食べて
7時半過ぎに母と二人、従兄宅に行った。
叔母夫婦はすでに来ていた。
従兄の娘も子供を一人連れて来ていた。
夕食を作ってあげたそうだ。
従姉の遺体は4時頃病院から自宅に戻ったそうだ。
明日午後まで家に居させておくそうだ。
本通夜は明日の夜になるだろう。
従兄は飛んでいきたいと申し出たそうだが
コロナ禍拡大中なので迷惑をかけることになりかねないので
来ないで下さいと姉の子供から諭されて、行くのを断念した模様。
娘は明日子供も学校があるのでと、9時頃帰って行った。
叔母夫婦と母と私は結局11時半近くまで居た。
そして家に戻ると、母が、今夜は通夜だ、と言いだして
しばらくというか、かなり夜更かしをしてしまった。
母は先に寝た。
私ももう寝る。
明日予定していた熊本の整形外科への通院は断念する。