6時半起床、ルーティン。
引き続き朝のお務め無事終わる。
今日は大江八幡宮の秋季例大祭、神棚の柴を替えました。

朝飯を食って、午前中は柿の処理に追われた。
干し柿にした。
母が皮を剥いて、私が掛ける。
母が頑張ってくれた。
11時半を過ぎてやっと小休止。
私はシャワーを浴びて身を清めて、昼飯。
スーツに着替えて、12時半に家を出た。
集合は午後1時だった。

行ってみると、祭りの参加者の大半は集まっていた。
鳥毛の新人さんたちも衣装に着替えていた。
挨拶をして、頑張ってもらうよう声を掛けた。
ところが、わら草履がない。
わらじを履けという。
私は総代長にモノを申した。
わらじでは指先が当たって蹴れない。
用意すると言っていたはずだ、と。

ところが帰ってきた返事は、ないものはない、わらじでやれ、と。
私はご立腹した。
そういう風だから、何事も無責任なのだ。
もう、協力したくない。
この役職も、鳥毛の指導も、もう御免だ。

1時15分過ぎから神事、1時45分にお立ち。
行列が始まった。
3年半ぶりの御行幸の行列だ。
沿道にはそれなりの観客が集まっていた。

人が少なくなって往事の面影はないが、仕方ない。
私は総代の定番位置、行列の最後尾を歩いてお伴をしていた。
ところが、海岸通りの御仮屋に着く頃になって、御仮屋の竹の柱を持つ人数が一人足りないことに気づき、あわてて加勢に行った。
私が加わって4本になって御仮屋を立て、無事神輿を迎え入れた。
祝詞を奏上し神事が終わると行列が再び動き出す。

次の目的地は上鶴、そこに御仮屋を立てる。
私も御仮屋メンバーに加わって軽トラの荷台に乗って移動した。
今度はかなり距離があるので時間もある。
途中、ロザリオ館前で休憩して、上鶴に向かった。

上鶴でも御仮屋に神輿を迎え入れ、祝詞奏上、そして行列は折り返した。
ロザリオ館前で三度目の御仮屋を立て、祝詞奏上。
ここでは巫女舞、太鼓踊り、獅子舞が披露された。
その間ずっと、御仮屋の支柱持ちは立って持っていなければならない。
疲れた。

餅投げのとき、総代が投げるというので、やっと支柱持ちから解放されて餅を投げる側になった。
母やいとこも来ていたので、その方面にも少し投げてやった。
帰宅してから母に訊くと、4個拾ったという。
良かった。

ロザリオ館をあとにして、行列は大江八幡宮広前へ向かう。
御仮屋隊は荷物を運ぶだけで、お役御免。
拝殿前に、所定の荷物を下ろして行列の到着を待つ。

行列が広前に入り、神輿が落ち着くと行列隊はしばし休息の時間。
巫女舞、太鼓踊り、獅子舞が奉納された。
宮司、総代長挨拶のあと、祝い餅投げが行われた。
今度は投げるのは六尺、神輿の担ぎ手たちだ。
私は4個拾った。
嬉しかった。

最後に神輿が神殿に入って、行列は解かれた。
納めの神事があって、散会。
神輿の移動や道具、旗などの片付けも終わった。
今回は直会が中止になったので、総代は御符と呼ばれる鏡餅の切り餅と紅白もちを氏子各戸に配る分を受け取った。
私は、祭りに参加してくれた4人に御符と紅白もちを渡して、集落に戻って残りの参加できなかった家々を回って配ってきた。
家に戻って着替えたときは日が暮れていたので、旗の片付けは明日朝することにした。

帰宅してみると、母が頑張って柿の皮をむいてくれていた。
あともう少しでむき終わるという時刻になって、大阪の叔母から久しぶりに電話があり、母と40分近く喋っていた。
叔母は元気そうで、畑を頑張って作っているという。
でも、農園を借りるのが抽選で、なかなか思うように当選しないと嘆いていた。
叔母の依頼は花の苗を送って欲しいと言うものだった。

母は8時頃までかかって、むき終えてくれた。
有り難い、感謝。

私の夕飯は拾ってきた餅と、ずぐっしょ柿10個ほど。
すぐに寝た。


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