特別警報が出るかもしれないと報道されていた
台風10号の襲来に備えて、色々準備した。
9月4日は(金)は、パソコンを片付けた。
データのバックアップを取り、パソコンや周辺機器を
全て取り外して袋に詰めて、衣装ケースにまとめて入れた。
書類や本なども袋に入れて、イモガマの中に避難させた。
5日(土)は、玄関にコンパネを打ち付けるなど、
外回りの準備をした。
隠居屋も雨戸を閉めて、玄関にはコンパネをはめ込んだ。
仏壇もきれいに片付け、位牌様も一緒に避難させる準備をした。
この間、地区の住民の避難先を全員分確認して
避難所の責任者の方にも何人避難するか連絡した。
また、公民館の目張り、雨戸、玄関のコンパネ張りもした。
6日も午前中テレビなどを片付けた。
午後、近くの叔父宅へ母とともに避難した。
夕食は叔父宅で普通に食べた。
どうせ停電するだろうから、早めに寝ようということで
9時には全員就寝した。
私はぐっすり寝た。
夜中にトイレに1回起きたが、すぐ寝入った。
7日の朝がきて起きたときには台風ははるか北の空まで進んでいた。
母は夜中に風が強くて、なかなか眠れなかったそうだ。
朝にはやっぱり停電していた。
吹き返しの風が強かった。
叔父宅で昼飯まで食べて、午後2時頃家に戻った。
避難先の叔父宅へ持っていった荷物が軽トラ一杯あった。
非常食から布団、枕、ブルーシートまで色々。
家が吹き飛ばされてしまったら、何日か逗留させてもらうつもりだった。
家の瓦なども飛ばされることなく、無事だった。
被害はなかった。
良かった。
とりあえず、外していた電灯蛍光灯を取り付け
通電に備えて落としていたブレーカーを上げた。
仏様と位牌様を仏壇に安置した。
明るいうちに夕食を食べて、母はすぐにご就寝。
私はこそこそとデスク回り復旧をして夜中に就寝した。
8日朝、目覚めは早かったが電気はまだ来ない。
ゆっくり朝食、片付けはボチボチやろうということになった。
この際、母が模様替えをしようと言い出し
テレビを置く場所を変えるという。
私は朝からコメリまで行ってテレビ線の留め具を買ってきた。
そして、線を引き直した。
母は主に仏壇を、私はデスク回りの復旧作業をした。
11時少し前に通電、停電が解消された。
午後遅く、パソコンを復旧させた。
組み立てたり線をつないだり、小一時間かかってしまった。
ボチボチ作業を進め、少しずつ片付いてきたが
家の中はまだまだ混沌状態。
今日、9日も作業に励もうと思う。





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