午前2時半過ぎ、母からたたき起こされる。
具合が悪い、救急車を呼んでくれ、とのこと。
心房細動のようだった。
母を確認して119番に電話。
火事ですか救急ですかの問いに救急ですと答える。
世帯主名、患者名、容態、住所などを伝える。
住所が確認できたので、救急車を向かわせるとの答え。
夜中なのでサイレンは鳴らさないで欲しいと伝えたが
決まりなので家の近くまでサイレンは鳴らします。
家の近くの道に出て合図をしてくれれば
そこでサイレンを止めますとの返事。
母は何とか動ける状態。
身支度を整えて、お薬手帳などを確認。
母は家の中で横になって待つことにして
私は車を市道まで動かしハザードランプを点けて
救急車の到着を待った。
程なくして救急車が到着。
市道から我が家までは道幅が狭いので
ストレッチャーで母を移動させることに。
家に上がり、状態を聞き取り
乗せ替えて救急車まで運んでくれた。
以前も同じ症状で何度か救急車のお世話になっている。
行き先は天草地域医療センターになると教えてもらった。
救急車は母を乗せて病院へ向かった。
私は一旦家に戻って顔を洗い、家の内外の電気を消して後を追った。
河浦経由で行くものと思い車を走らせたが、なかなか追いつかない。
救急車は安全運転で走る。
夜中で先行く車はなく、私も自然とスピードが出る。
266号に合流するまで救急車に追いつけなかったので
救急車は下田福連木経由で行ったのだと悟った。
地域医療センターに到着したのは私の方が早かった。
数分遅れで救急車が到着。
夜間受付から病院の中に入ると、母は処置室へ運ばれていた。
消防隊員が出てきたので、お礼を言った。
私は待合いで待った。
看護師さんが家族構成などを聞き取りに来た。
この看護師さん、母によるととてもやさしく接してくれて
本当に有り難かったと言っていた。
母は心電図や血圧、心拍数などを計る機械に繋げられていた。
でも今回、心房細動の厳しい状態までは至っていなかったようで
電気ショックを使うことはなかった。
大事に至らなくて本当に良かった。
母が点滴などをしてもらっている間、
私は待合いで母の靴と自分のスマホを握りしめて
睡魔と闘っていた。
母の前に一人、若い男性が救急で運ばれてきていた。
母の後に、子供が続けて2人救急で来た。
母は一旦容態が回復して帰るために
服を着ようとベッドから起き上がったときに
目の前が真っ黒になりまたダウンしてしまった。
点滴を追加して8時半を過ぎた頃
もう少し時間がかかるなら、私は
朝食を食べてきたいと看護師さんに伝えたところ、
もう大丈夫でしょうということになり、
待合いで待っていたら、また母の具合が悪くなったので
食事をどうぞということになってしまった。
私は腹が減っていたので、朝飯に行った。
少し買い物をして、菓子パンを1個
朝食代わりに食べて病院へ戻った。
処置室に声を掛けると、看護師さんたちが一新していた。
申し送りが済んで、日勤のメンバーに変わったのだろう。
母はヨロヨロと処置室から出てきた。
車椅子に乗せて受付で待った。長かった。
今日は支払はできないという。
後日ということになった。
処方箋が出ていて、今日は休日なので
中央病院近くの調剤薬局が一番近いだろうと
言うことだったのでそこへ向かった。
ここも少し長かった。
10時半頃、やっと帰路に就いた。
間もなくケータイに電話あり。
従兄からだった。
未明の救急車に気付かなかった、
今聞いた、大丈夫だったかと。
無事回復したと伝えた。
母も腹が減っていたようで、車中でパンを1個食べた。
11時半頃家に着いて、パンとバナナで昼食。
間もなく叔母が訪ねてきてくれた。
叔母が帰った後、母は自室で相撲観戦をすると言っていたが、
行ってみると眠っていた。
しばらくして叔父も来てくれた。
入れ違いに近所の夫婦も来てくれた。
母は眠ったままだったので、
私がいきさつや状況を手短に話した。
誰も、回復したので良かった、
無理をさせるなと言ってくれた。
確かにこのところ、母はきばっていた。
ジャガイモ、甘藍、サニーレタスなどを植え、堆肥やりもした。
大根やニンジンも畑に蒔いた。
また、種蒔きした甘藍などをポットに移す作業もしていた。
無理をしたのだと思う。
残念ながら私は母をフォローすることはできない。
母は畑命。思い入れがあるようだ。
私は違う。
少しずつ、母にあきらめてもらわなければならない。
寝ていた母を起こし6時半過ぎに夕食。
7時過ぎ、食べ終わったころ従兄が来てくれた。
母が一通り顛末を話した。
母の様子を見て安心してくれた模様。
長居はしないのでと、7時半前に帰って行った。
昨夜は8時過ぎに寝た。
今夜も9時頃までには寝たいと思う。