河浦病院に入院していた伯母が7月28日午前、身罷りました。
83歳でした。
今度の癌は、とうとう伯母をこの世から連れ去ってしまいました。

いずれ、別れのときが来る。

2月に左大腿骨の癌が発覚し、熊本の病院で手術。
そしてリハビリのための病院へ転院。
しかしそこで伯母は、回復困難な状況に追い込まれました。
全身の骨へ癌は転移していたのです。

天草への帰還は伯母の望みでした。
今のタイミングでなければ天草には帰れないと言うギリギリのとき、帰宅を果たしました。
6月18日でした。
そして4日間だけ、自宅で過ごすことができ、河浦病院へ入院しました。

それから1ヶ月あまり、伯母は安らかに逝きました。
母と私だけが臨終に立ち会うことができました。
河浦病院の先生、看護師さんたち多くの皆さんにお世話になりました。
何度も何度もお見舞いに来て下さった皆さんに「ありがとうございます」と言いたいです。

伯母の心残りはおそらく、齢91の伯父より先に旅立ったことだと思います。
伯母の遺志を受け継いで、できる限り伯父の生活の手助けをしていこうと思っています。

このところ、病院通いが続いています。
2日は糖尿病の診察で医療センターへ。
7日は伯父を皮膚科に。
8日は精神科、酒井病院へ。
13日は父を泌尿器科へ。
きょう14日は伯父と母を皮膚科へ。
この間、伯母が入院している河浦病院へも、たびたび足を運びました。

どこの病院も患者さんは多くなってるように思います。
それぞれに病をもつ人は必ずどこかの病院へ行き、注射や点滴をしてもらい、薬も飲んでます。
私も先月末に人間ドック日帰り健診を受け、昨日結果が郵送されてきました。
治療を続けるのが3項目、要精密検査が2項目、その他経過観察が肺機能や肝機能など多くありました。

わざわざ言われなくてもメタボです。
腹囲85センチどころか122センチもありました。
5Lサイズの本領発揮。
体重も109キロでした。
体脂肪率は36%。
と言うことは、私の体重のうち40キロは脂肪です。
体が重いのは当たり前。
自重を支えきりません。

食べてます。
飲んでいます(アルコールは飲みません、清涼飲料水:糖質なし)。
運動は億劫です。
すぐにバテてしまうので、体を動かすのがとても辛いです。
寝そべっていて、起き上がるまでに気合いを入れなければなりません。

この状況を打破するには、相当の覚悟と勇気、エネルギーが必要です。
が、気合いが足りません。
現状を変えようという動悸がありません。
飴と鞭のうち飴が足りません。
どこかに魅力的な飴の元がないかなぁ。




梅雨に入ってから、お日様を見る機会がとても少なくなってきた。
お陰で、ナスビやピーマンも被害を受けている。
トマトもしかり。
スイカはなんとか4個が生りついている

合間を縫うようにしてカライモはなんとか作ったが、はさみ肥えは出来ないまま。
梅雨空のもと、威勢が良いのは草ばかり。
畑の中も周りも草だらけで、伸び放題だ。

草払いを出来ないまま3月が過ぎた。
除草剤を撒いてもらったが、一時しのぎで、またお願いをしなければならない。
私は不調、絶不調。

草刈り機を使いこなせない自分が情けない。
体力が落ちてきて、腕力も衰えてきた。
出はため息、溜るは皮下脂肪と内臓脂肪。

齢、間もなく53。
昔は初老、今青年のお年頃だ。
ハイテクヘルスメーターでの私の体年齢は76歳。
実年齢の20年先を行く。

今年の梅雨は切れ間なし。
よく降る。
除湿器がなければわが家はカビだらけだ。
除湿器のタンクの水捨てが朝夕の日課になっている。

毎日ブツブツつぶやきながらも体重測定は続いている。
先日の人間ドックでの身長は173センチだった。
体重は110キロぐらい。
なかなか体重は減らない。

ちなみに腹囲は122センチだった。
服は4Lでは少し小さくて、5LがOKのサイズになっている。
服は専らネット通販で購入していたが、天草にも大きいサイズのコーナーがあるお店も増えてきたので、うれしい。
イオン、サンリブ、ひらやま、しまむらに5Lサイズが置いてある。
有り難いことだ。

ただし、価格は相応。
ユニクロほど安価ではない。
ユニクロも最大100センチのズボンはあるが、私の場合は115から120なので、規格外なのだろう。

5Lサイズが置いてあるお店をご存知の方がいれば、ぜひ教えて頂きたい。
行ってみようと思う。
購買意欲は満満なのだが、・・・。

昔々若い頃はLサイズだった。
LL、XL、Oとなっていたが、途中から3L,4L,5Lとなってきた。
今、通販カタログを見ると8Lが一番大きいようだ。

多分私はこれ以上は大きくならないと思うが、体型の変化が違うサイズの服を要求するようになるかも知れない。
最近私より明らかに大きいサイズの人を見かけることが間々あるので、今後もビッグサイズの需要は多くなると思う。
選択肢が増えていくことを願うばかりだ。

今年はよく降る。
雨、長雨にもううんざりだ。
明日は晴れ間が見えるかも知れない。

一昨日は近所の人のお見舞いに行って来た。
元気そうに病状を語ってくれたが、なかなか難しい病気のようだ。
2度も輸血をしたという。

昨日は日帰りの人間ドックに行ってきた。
天草地域健診センター、昼食付き。
受付は朝7時15分。
10分ほど前に着いた。

身長、体重、視力、聴力、血圧、腹囲、体脂肪、血液検査。
尿、便潜血、心電図、腹部エコー、肺機能、胸部レントゲン、胃カメラ。
だいたいそれくらいだった、と思う。

結果、要精密検査が1点、胆嚢になんとか壁があるという。
本来ないはずのものなので、検査を勧められた。
また、定期的に年1回程度、胃カメラの検査を受けたがよいと言うことだった。

肝臓、血圧、コレステロール、中性脂肪、体脂肪が高いと言うことだった。
これは毎回同じ。
検査結果は7月中旬に送ってくれると言うことで、、その後かかりつけ医に結果を見てもらい、必要な検査などをしてくださいと言うことだった。

きょうは、父をデイサービスに送り出した後、母と出かけた。
まず入院中の伯母を見舞い、スイカとプラムを食べさせてきた。
そして母を皮膚科に連れて行った。

母の診察中、私は買い物と床屋に行った。
実は、ロト6の4等が当たっていたので、換金してまたロト6を買ってきた。
4等が当たるのは本当に久しぶりだった。

ロト6は608万分の1の確率で1等が当たるという。
キャリーオーバー発生中なので4億円が当たるかも、と思っていて、当たったら何に使おうかと考えるとき、様々な妄想が湧き出てきてしまう。
特に寝る前、布団に入ってから考え出すと、妄想は際限なく広がり、やがてぱっちり目が覚めてしまって、時計を見ると何時間か経過しているときもあるので、寝る前にはロト6のことを考えてはいけない。

宝くじはギャンブルだ。
お上がやっているので、公営ギャンブル。
競艇の経験ないが、競馬と競輪はそれぞれ1回ずつ行ったことがある。

私はときどきパチンコにも行くので、ギャンブル依存症かも知れない。
普段は、自分のこだわった数字の組み合わせで、ロト6を切れ間なく買い続けている。
ナンバーズやミニロト、ロト7もあるが、数字選択式ではロト6が一番性に合っている。

ジャンボくじは必ず買って、母にあずけている。
しかし、ジャンボくじはここ数年、末等しか当たっていないので、ツキはないようだ。
でも、宝くじは買っておくと楽しみになるので、贅沢だが買い続けるつもり。

人間ドックに行くと、毎回同じようなことを同じように指摘される。
生活習慣を変えなければ健康が蝕まれていくことは分かっている。
長生きをしようとは今は、思っていない。

両親がいるので、親より先には死ねないと思っている。
二人がいなくなったら、そして死への恐怖がないなら、アッサリ旅立ちたいと思っている。
病であれば良いなと思う。

心の病を得てもうすぐ20年。
長い経験から言えるのは、私は決して自死を選ばないということだ。
そしてそのことを、伝えなければとも思っている。

もっとココロが疲れていなければ、体力があり続けるなら、何かをやりたいが、今は状況が許さない。
自分と自分の家族のことで精一杯。
でも、いつか私を擁護し支えてくれた方々に恩返しをしたいと思っている。

およそ4ヶ月、熊本市内の病院に入院していた伯母が先日退院し、数日を自宅で過ごした。
そしてきょう、河浦病院に無事に入院をした。
無事に入院したというのは何とも変な表現だが、今回はそう言いたい。
病状が悪ければ天草に戻ることが出来ない可能性もあった。

熊本から天草の自宅までの移送は、春光苑のケアマネさんが引き受けてくれた。
そしてきょうも、自宅から河浦病院まで春光苑のケアマネさんが連れて行ってくれた。
本当に有り難く、うれしかった。
2人のケアマネさん、ありがとうございました。

伯母は熊本市民病院で、左足の大腿骨の一部を金属に置き換える手術をした。
それからリハビリのため転院していた。
熊本の病院では市内住む従姉が、伯母の世話を一手に引き受けてくれていた。
伯母には子供がいないので、これからは天草に住む私を含む甥たちの出番。

河浦病院までは20分強の距離で、母も軽トラで行ける範囲だ。
熊本までの往復は、私の体格で軽自動車なので、エコノミークラス症候群になってしまう。
日帰りの行き来はなかなか疲れていた。
今度は近場なので、何度でも行ける。

伯母は随分体力が落ちているが、自宅で数日を過ごしたことでホッとした模様。
体力が回復すれば外泊で、自宅への再訪が出来るかも知れない。
転院がきっかけで、体力が回復してくれることを願う。
まずはしっかり食べることへのサポートしていきたい。
昨日、熊本まで日帰りで行って来ました。
私の軽ではエコノミークラス症候群みたいになって、とても疲れます。
今朝は早起きをするつもりでしたが、7時前にしか起きられませんでした。

午後から雨の予報だったので、午前中にカライモを作ってしまう算段でした。
7時過ぎから、この前耕せなかった畑を耕して、畝を切りました。
畝も耕耘機こまめさんの畝立て鋤を使って切りました。

朝食を食べて一息つき、9時半頃から畑に行きました。
そのとき母はツラ切りをしていて、みくるまぐらい切っていました。
ので、私は挿していきました。

途中、雨が降り出しました。
とりあえずツラを切っている分を挿そうと言うことになって、母も挿し始めました。
するとそこへ天の助けが・・・。

おばたち夫婦が加勢に来てくれました。
有り難かったです。
作業はみるみる間にはかどりました。

途中で雨は本降りになりましたが、最後まで濡れながら作業をしてもらいました。
これで今年のカライモ作りは完了。
おばたちに感謝感謝です。

昨日、6月7日は大江地区のクリーン作戦でした。
西平区でも総勢16人が朝8時に集合し、道路の草払いをしました。
今年は区間の大半を作業日直前に草払いしてくれた人がいて、大変助かりました。
作業は2時間ほどで終わりました。

午後、カライモを作りました。
午前中に母がツラを切っていて、安納芋6束、七福4束を用意していました。
苗50本で1束です。
私が耕耘機で畝を作り、母が挿していきます。

畑1枚に9畝作りましたが、ツラが足りずに母は再びツラ切りをしました。
安納芋4束を追加。
1束少し余って、別の畑に植えることにしました。
スイカの下手に植えることにして、畑を耕耘。

スイカの藁敷きもして、藁も取りに行きました。
私はくたびれてしまい、ジャガイモの跡は耕耘をあきらめました。
母は齢78になりますが、強いです。
私は自分の体力不足を痛切に感じます。

ハイテクの体重計で体年齢を計ると、私の体年齢は76歳。
筋力もないし持久力もない、情けないですが現実です。
今年カライモを作る予定にしているのはあと1ヶ所。
昨日の畑より狭い面積です。
カライモ作りは半分は終わりました。

根がついたら鋏み肥をします。
ツラ起こしもします。
草かがりもします。
色々作業は続きます。

カライモは挿しておきさえすれば、なんとか育ちます。
昔はコッパ出しをしていたので、畑という畑はみんなイモ畑でした。
ゴコクが白ゴッパにする品種で、食用にしていたアメリカはほんの少しでした。
長崎や紫芋を作ったこともありました。

今は食用だけなので、安納芋と七福だけです。
蒸しゴッパも作らなくなりました。
手間が大変です。
きょうは早速雨が降り、昨日植えたイモも一息ついてくれると思います。

この先はずっと雨模様の天候なので、次回はいつ作れるか分かりません。
とりあえず半分作ったので良かったです。

昨日は第16回ジャガジャガ祭でした。
私もスタッフの一人として微力ながら参加しました。
心配されていた雨も夜半には止み、朝は曇空でした。

祭では、掘り取り体験の他、山積みジャガイモの重量当てクイズや木工教室、お魚カルタ大会などがありました。
私たち西平カメリアクラブはメンバー5人で椿油の販売をしました。
価格も通常価格より値引きして販売しましたが、売れ行きは振るいません。
朝9時から午後2時までで、売れたのは6本だけでした。残念。

椿まつり以外のイベントで椿油を販売するのはなかなか難しいです。
が、これからも販売を頑張ろうと思っています。
祭は2時過ぎに一連の行事が終わり、片付けとなりました。
テントをたたみ、机や椅子の返却など、力仕事になります。

私は太りすぎているため、体を動かすのが苦手です。
力も弱く、持久力がありません。
ので、大した戦力にはなりません。
が、非力ながら、ボチボチ手伝いました。

散会後一旦帰宅し、カメリアハウスに椿油の売れ残りを戻しに行きました。
家に戻ってすぐにごろ寝。
予想以上に疲れていました。

宅急便の不在通知があったので、ドライバーさんに電話。
間もなく荷物を届けてもらいました。
冷蔵便で来ていた荷物の中身は、繊維飲料でした。
冷蔵しなければならないので、冷蔵庫の隙間に詰めてみました。
が、全部は入りきらず、1箱分はおばの家に持っていきました。

私は喉が渇いていたこともあり、285mlのこの飲物を3本飲みました。
大変美味しかったです。
夕食はジャガジャガ祭で買ってきた焼きそばとコロッケと唐揚げでした。
父が焼きそばを食べなかったので、私が食べました。
食べすぎでした。ハイ。

何事もなく昨夜は就寝。
今朝は6時頃起こされて、わが家のジャガイモを掘りました。
赤ジャガと普賢丸です。
普賢丸はまあまあの出来。
赤はちょっと不作でした。

朝食後、ジャガイモをコンテナに入れ、小屋に納めました。
先日のメークインが7箱でしたが、今回の2種は合わせて2箱ちょっとでした。
秋ジャガ用の種イモも十分にあり、今年の食べる分にも十分です。
収穫はうれしいけど、作業、特に持ち運びが重労働です。

そんな中、昨夜から排便が良くあり、朝は少し軟便になっていました。
そして午後、下痢ピーになりました。
買い物のため河浦のコメリまで行きました。
帰路、一生懸命耐えてきました。
帰宅すると一散でトイレへ直行しました。

昨日の3本飲みの飲料が多すぎたのではないかと思います。
きょうから6月ですが、よく下痢をするようになったのは半年ぐらい前から。
それまでは薬の服用による頑固な便秘でした。
カマグという薬を処方してもらい、自分で硬軟のコントロールをしていました。

今はカマグの服用を止めることはもちろん、ビオフェルミンという整腸薬を処方してもらい、三食服用しています。
それでも下痢をするときは正露丸を飲んだりしています。
今月は人間ドックに行く予定です。
出来れば腸も検査したいのですが、無いなら別途、検査をしようと思っています。
きょうの下痢はもう、一旦治まった模様です。

腹の具合が悪いと、苦労します。
便秘も下痢も経験済みですが、どちらもそれぞれ辛く、どちらが良いか分かりません。
腹の具合は普通が一番です。
食事や飲料の摂取に気を付けていきたいです。


きょうは代謝内科の通院日でした。
天草地域医療センターへ行って来ました。
10時半の予約だったので、9時半過ぎに病院に到着。

受付のあと、採血と採尿を済ませ、診察を待ちました。
が、きょうは代謝内科が混み合っていると言うことで、主治医ではなく別の先生による代診で診察を受けてきました。
診察は11時過ぎになりました。

このところ、血糖値の管理ができていたので、ヘモグロビンA1cは少し下がっていました。
先月は7.1だったのが、今月は6.8でした。
もう少し値を下げたいので、さらに精進したいと思っています。

体重は先月と大差はありませんでした。
病院の体重計で量ると、どうしても110キロを超えてしまいます。
今年の夏は、せめて105キロぐらいまで持って行きたいです。

インスリンの単位や処方薬には変更はありませんでした。
デイ薬局で薬をもらいました。
それと、ブドウ糖をもらいました。

今月は低血糖が2回ほどありました。
低血糖になると何となく分かるので、すぐにブドウ糖を飲みます。
切らしていた時期があり、飴で代用したこともありましたが、やはりブドウ糖が効果抜群です。

課題はやはり食事というか、食欲の管理かなぁ。
体重も毎日量っていますがなかなか減ってきません。
頑張ろうと思います。
昨夜は9時半頃就寝。
今朝は3時頃目が覚めたが再び寝入り、4時過ぎに起床。
少々眠気があったがそのまま起きた。

6時前になって母も起きてきたので、畑へ行った。
今朝の仕事は畑の耕耘。
ミニ耕耘機こまめさんを畑まで押していき、輪っぱを替えてから畑に入った。

母は里芋の畝間の草かがり。
私は小さな畑1枚半を耕して、里芋の畝間もかき混ぜた。
8時前に上がった。

朝食後、眠気が来て横になったら寝入ってしまった。
一昨日のジャガイモ掘りの疲れが残っていた模様。
電話で飛び起きたら椿油の注文だった。

10時半に届けることにして、カメリアハウスまで油を取りに行き、そのまま届けに行ってきた。
現金で支払いがあったので、農協へ行き入金もしてきた。
帰ってみると、母は爆睡中だった。

昼飯を食べてから、私も爆睡してしまった。
きょうは午前も午後もしっかり眠った。
今夜も眠れれば良いと思っている。
今月19日に米麦を蒸して麹を寝かせました。
今回は丸麦20キロと米10キロを蒸しました。
2日後の21日に味噌をつきました。

朝から5升釜で大豆を茹でました。
大豆は5キロで、前日夜に洗って水に浸けていました。
大豆を茹でるのに3時間ほどかかりました。

19日、21日の両日とも、おばが手伝いに来てくれました。
お陰で仕事がはかどりました。
頼りになります。

味噌を搗くのは手が要り、道具も要ります。
まずは麦、米を洗って浸ける桶が要ります
そして桶から出して水を切るザル、一斗升家。

蒸すために、かまど、三升釜、せいろ、焚き物が要ります。
麹を寝せるために、台、戸板、いなまき、敷き紙が要ります。
米麦を蒸したら人肌程度まで冷まして麹菌をまぶし、いなまきをかぶせて麹がつくのを待ちます。

麹は、温度と麹の付き具合で混ぜたり広げたりします。
これは母の役目で、長年の勘が頼り。
2日で麹の花が咲きます。

麹ができたら、茹でた大豆をミンチでつぶして麹と混ぜます。
麦米大豆の割合はテキトーです。
大豆麹に塩を計って入れて、水を入れてこねます。
適当な堅さになったら、丸玉を作り、味噌桶に叩き込みます。
空気が入らないように打ちつけます。

味噌を搗く工程でも色々道具が要ります。
大豆を煮るためのかまど、五升釜、焚き物、大豆を揚げるための一斗笊。
はかり、塩入れ用のボウル、大豆麹計量用のボウル、味噌を混ぜるための容器はたらいを使っています。
そして最後は味噌を入れるための容器、味噌樽です。

今回は、弟妹が味噌を切らしていたため搗きました。
いつもは9月に搗くのですが、足りないときは春に搗くときもあります。
3戸分、わが家は3人、弟妹はそれぞれ5人同居です。

今回は2樽の予定でしたが2樽半ありました。
暫く寝せて、そのうち弟が帰省したら持たせる予定です。



今日、24日は、朝から梅をちぎりました。
わが家には2本の梅の木があります。
隠居屋とエンマエにそれぞれ1本ずつ。

まずは隠居屋の梅をちぎりました。
半分は点々が付いていてあまり良い実ではありませんでした
とりあえず品の良いものだけをカガリ1杯、10キロほど。

続いてエンマエの梅をちぎりました。
母も加勢に来ました。
2人でちぎって、13キロほどありました。

エンマエの分12キロと隠居屋の分8キロを漬けることにして、午前中に選別を終え、塩水に浸しました。
今年漬けるのは、もちろんカリカリ梅です。
レシピは最後に書きます。

3時間半ほど漬けてから水気を切り、梅を割りました。
このカリカリ梅を漬けるために梅割道具も買いました。
種を除いて果肉だけを氷砂糖と交互に漬けていきます。

昨年は完璧な青梅ではなかったので、少し柔らかくなりました。
エンマエの分は青くて未熟だったので、今年こそカリカリに仕上がって欲しいと思っています。
隠居屋の分は玉太りが良く、少し熟しかけているものもあったので少々期待薄ですが・・・。

それでも今年は20キロも漬けたので、存分に楽しめると思います。
赤紫蘇が必要ですが、紫蘇はまだ大きくなっていないので、葉が繁ったら漬け替える予定です。




「梅のカリカリ漬け」 

 青梅 4キロ

 氷砂糖 2kg
 ホワイトリカー 1カップ
 水 4リットル
 塩 300g

 赤紫蘇 4束 


①青梅を塩水に3~4時間つける(割ってみて種が取れるまで)
 
②梅の水気を切り、まな板の上に布巾を敷き、木杓子で押すと実と種に分ける
 (梅を割る道具があります)
 
③氷砂糖と梅を交互に入れ最後にホワイトリカーを掛けて密閉容器に漬け込む
 
④液が上がってきたらアクだしした赤紫蘇を入れる
 

「紫蘇の入れ方」

1、紫蘇を綺麗に洗い,束にして竿に掛け,水切りする。
 (少し水分が残ってるくらいが良い)

2、塩で揉みあくを出す。
 
3、別の容器に梅、紫蘇、梅、紫蘇の順に入れ、上に沢山の紫蘇を被せる。
 
※ 紫蘇が多いほど色の綺麗な梅干ができる。
 







朝、センサスの調査に行って来た。
午前、カボチャ畑に堆肥と肥料をやり、かき混ぜた。
そのあとは母が、ポリと敷き藁を敷いた。

甘藍を作る予定の畑を耕耘。
土は雨に濡れていてべちゃべちゃ。
おまけに体力もダウン。

狭い畑を耕すのに6回も中断して立ち止まった。
安定剤を飲んでいたが、体調は一向に良くならない。
頭はボーッとするし目はチカチカ、耳鳴りもする。

耕耘機を家まで押して来たが、坂道は力を振りしぼった。
ので、午後は何もせずに寝ていた。
当然だが、状態はアスカイヤー。

大相撲を5時過ぎから観戦した。
贔屓の照ノ富士が勝って良かった。
ただ、頭はクラクラガンガンする。

早めに寝ようと思う。
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