1時半起床。
パソコンソフトの勉強、試行。アグリオン。
3時半頃ルーティン。
4時過ぎから朝のお勤め、無事終わる。
5時頃から作業準備の着替え。
軽トラを動かし、草刈り機と諸道具を積み込む。
除草剤を準備して、噴霧器に入れた。
噴霧器の電池を確認して、入れ替えた。
ガソリンを準備した。
母が6時過ぎに起きて、着替えて出てきた。
二人でエンマエの畑に向かう。
私は草切り、母は草かがりと除草剤撒きを担当。
それぞれ8時過ぎまで作業をして、予定終了した。
良かった。
さばけた。
シャワーを浴びて9時過ぎに朝飯。
洗濯を干して、9時45分頃公民館に着いた。
今日は4人しか集まらなかった。
定時の10時から5分早く始めた。
いきいき百歳体操、およそ40分。
かみかみ百歳体操、およそ20分。
終わってから長机を出して、パズルの時間。
今日は正午近くまで頑張った。
解散したのは正午を過ぎてからだった。
帰宅してすぐに昼飯。
私はスイカを3個食べた。
旨かった。
2個は赤、1個は黄色だった。
0時45分頃出発、母を皮膚科に連れて行くため本渡に向かった。
途中、大野のT字路で救急車とすれ違った。
誰だろう、と母と話した。
往路途中で判明した。
集落の最長老から電話があり、長老の家が騒ぎになっている模様、
情報はないかというモノだった。
実は本渡行きで、・・・と話しをして、情報を得るために母が叔父に電話した。
叔父の携帯に出たのは従妹だった。
長老が亡くなったらしいとの情報だった。
ほどなく従妹から母にLineが来て、概要が分かった。
一人暮らしで、一人で亡くなっていたらしい。
警察の検死が行われるようだとのこと。
母は病院に着いてすぐ、事情を話して順番を繰り上げてもらった。
私は最低限の買い出しのため、病院近くのドラッグストアに行って来た。
そしてあわてて帰っていたら、母が薬をもらうのを忘れたと宣う。
調剤薬局まで5分ほど戻って、事無きを得た。
集落に帰り着いて、叔父の家を訪ねた。
叔父一家と従兄が居た。
検死中と言うことだった。
私たちが叔父の家で色々話し込んだあと、見遣ってみてもパトが停まっていた。
仕方なく帰宅した。
泣きにも行けない。
母と二人、無言で大相撲の歓声を聞いている。
先週は百歳体操に来て、初めて4人がパズルに挑戦した。
頭をひねりながら頑張っていた姿が脳裏に焼き付いたままだ。
その後会う機会はなかった。
母より3歳年上だった。
仲間だった。
集落の中で、一人欠け、二人欠けていく中で、母にとって唯一青年時代を語り合える人だった。
母は宣う、これで話の合う人が誰もいなくなった、と。
若い頃のことを思い出話として語れる人がいなくなったのだ。
心中慮るが、私にはその真理は分からない。
分かるようになるかは疑問だ。
夕飯は6時半頃。
いただいた中華のご馳走だった。
料理人の腕が試される。
すぐ寝入る。
2時間後、起きてまた寝る。
おやすみなさい。