5時過ぎに起床。
少し早かったが起き上がることにした。
今朝も変な夢を見た。
なかなか面白かったが、結論が見えない夢だった。
ルーティンのあと音楽を聴きながらパソコンと向き合う。
7時頃までに朝のお勤めを終える。
8時前に朝飯。
朝ドラを2日分観て、出発。
まずは耳鼻科の医院で補聴器屋さんと待ち合わせ。
母が大枚をはたいて補聴器の購入をすることにした。
今日は支払いと引き渡しだ。
補聴器はハイテク、スマホで設定の操作ができる。
試用品を使っていたので、新しい分の設定をしてもらって受け取った。
母は早速新しい補聴器をつけて過ごしている。
耳鼻科が早く終わったので整形外科にも行ってみることに。
月曜日に熊本のクリニックでもらってきた紹介状を持って、母と二人受付へ。
初診者用の問診票に記入し、診察を待った。
待合いで待っていると看護師さんが来て、問診票の中味について確認と詳しい症状などの聞き取りがあった。
しばらくしてまず、母が呼ばれた。
母が終わって、私の番になった。
母も同席した。
医師は紹介状に添付されていたクリニックのレントゲン画像を見て、開口一番こう言った。
手術が必要ですね。
少々やりとりがあって、地域医療センターがダメなら熊本の病院を紹介しますよ、と。
手術するなら天草の整形外科に紹介状を書いてもらう必要はなかった。
リハビリの頻度が減って、熊本まで通うのも大変になって来たから天草で、と思っていた。
積極的にリハビリをしてくれるつもりはないらしい。
理学療法士によるリハビリは発症から150日間しかできないという。
でも私は現にこの6年4ヶ月、最初の3年半は週1回、コロナが流行したあとは2週間に1回の頻度でリハビリに通っていた。
その間、電気治療は前半の3年半のみで、リハビリは理学療法士による施術を毎回受けていた。
ヒアルロン酸の注射は当初は週1回、2週に1回と減ってきて、現在は4週に1回だ。
これについては、ヒアルロン酸の注射は打ってあげるから4週間後にどうぞと言うことだった。
リハビリについては、調べさせて欲しいとの言葉だった。
当てが外れたというところ。
期待していたのが浅はかだった。
左膝の状態が良くないことは分かっている。
それはクリニックの先生もお見通しだ。
そのうえで、現状維持のためリハビリで行こうと言うことで頑張ってきた。
膝の痛みが始まってから7年になる。
手術は最終手段だ。
地域医療センターの手術のあとの骨壊死の発症が、私のココロに不信をもたらした。
骨壊死の発症後、担当医がもう一度手術をしたいと言った。
何をするんですかとの問いに、「見てみたい」という返事だった。
それを家族や親戚にしたところ、そんなのに任せるわけには行かないと、熊本の病院を探したのだ。
手術をすると決断したときは、熊本のクリニックの医師に相談するつもりだ。
診察後、母はリハビリという名の機械による肩を温めるという治療を受けた。
二人、会計を済ませて帰路に就いたのは1時過ぎだった。
2時前に帰宅、昼飯が遅くなった。
しばらく休憩して、私は扇風機の掃除をした。
扇風機2台、サーキュレーターを2台、掃除をした。
サーキュレーターは毎年きれいに掃除できずにいた。
小さい方をいじっていたら、表のカバーが外れた。
これで中の羽も磨くことができた。
大きい方のサーキュレーター、脱衣所に置いていたものも外せるはずだと言うことが分かった。
一人で難儀しながら、壊してしまうかもと思うほど力を入れたら、外れた。
こちらもきれいに掃除をした。
買うてからかなり経つが、内部の羽を掃除したのは初めてだ。
良かった。
扇風機類4台を仕舞い、脱衣所には早速母のリクエストで温熱ヒーターを持って来て置いた。
一件落着。
母は洗濯を取り込んだあと畑に行って大根葉をかがってきていた。
選別したり洗ったりして今、青菜を湯がいている。
6時を過ぎて日は暮れた。
そろそろ夕飯だ。
夕飯は鯖の頭の味噌汁と青菜の酢の物、ミニトマトとソーセージ炒めだった。
旨かった。
洗い物をして、明日の飯も炊くのを予約した。
このところ母も病院行きが忙しかったので多少混乱しているところもある。
ゆっくりさせてやりたいが、本人の病気を治すためなので多少の無理はもう少しの時間必要なのかも。
来週月曜日の大腸検査が終われば一息つくだろう。
心安らけく過ごして欲しい。
ただ、毎晩ガサの手入れもしなければならない。
大変だ。
母と喋りながら9時頃まで過ごして、今夜の作業に行かなかったことを思い出した。
すっかり忘れてしまっていた。
もう作業は終わっている時刻なので、後日詫びを入れようと思う。
寝る。