私の持つ2大疾患のひとつ糖尿病。

昨日木曜日は糖尿病の通院日でした。

ちょっと早めに家を出て、買い物を少ししました。

予約時間の1時間半ぐらい前に病院へ着きました。

受付を済ませて採血室の前で待機。

先に採尿をしました。

採血室でまずは血圧測定。

そしていつも期待外れの数字を示す体重計で体重を量られました。

それから採血です。

採血のあとは診察で、しばらく時間があります。

昼食用にパンを買ってきていたので、車中でもぐもぐ食べました。

昼食は、母や他の人たちと出掛けるときはいわゆる食堂で食べます。

私一人のときはほとんどパンを食べて済ませます。

食堂や弁当は面倒くさいのです。

パンなら箸も要らずサッと済ませられます。

簡単な昼食を済ませ、あとは待合で待機。

しばらくボーッとして座っていたら、「ひろじいさん、ひろじいさん、体重を量り直してください」と看護師さんに言われ、再び採血室に向かいました。

「先月より随分増えているので量り直しです。この期間に何かありましたか?」と言われながら体重計に乗ると、さっきより400グラム重くなっていました。

「昼食分重くなりました。実は禁煙を始めたんです」と言うと、私を連れてきた看護師さん、採血室に居合わせた看護師さんたちが「えーーー、すごいですね。きっかけは何?どうやって?」と質問攻めにあいました。

そこで禁煙までの経過と、禁煙外来に通っていること、チャンピックスという薬を使っていることなどを説明しました。

すると看護師さんたちから「体重の増加は禁煙のためですね。すごい。頑張ってください」と褒められたような、励まされたような声をかけてもらいました。

私は何だかちょっぴりうれしくなりました。

それから待つこと小一時間、診察の順番が回ってきました。

主治医の先生も「糖の方の経過も順調です。禁煙すると太りますが、それは煙草というストレスから解放された分、食欲が増して太ることが多いです。でも、それを理由に再び吸わないようにしてください」と言われました。

今回のヘモグロビンA1cは5.7。

インスリンの摂取量を少しばかり減らすように指示がありました。

診察はいつものように短時間で終わりました。

病院の体重計は我が家の体重計より少し重く計測されます。

私は毎日体重を量り記録を続けています。

体重測定のタイミングは、起床後トイレを済ませた状態で体重計に乗ります。

毎日の記録はブログに掲載しています。

病院では食事も済ませ、服も着たまま量るので(服の分は引きますが)どうしても重くなってしまうようです。

このところ増加し続けている体重。

禁煙当初の思わぬ副産物です。

当面はこれ以上増えないよう、増やさないようにしたいです。

中期的には2桁を目指し、それ以降もさらに減量できるように頑張りたいと思います。

 

9月9日に始めた禁煙、何とかきょうまで続けています。

基本、煙草を買わないこと。

今までカートンで買っていたので、自販機からの誘惑はありません。

一応タスポカードも持っていますが使ったことはありません。

今、ファイザーのチャンピックスという薬を服用しています。

服用期間は12週間の予定です。

短期的には禁煙できる率は高いそうですが、長期的には他の方法で禁煙した人より再喫煙率は高いそうです。

私はまだまだ4週目に入ったばかり。

煙草を吸う人と会うと煙草の匂いがしてなつかしくてたまりません。

でも誘惑に負けてはいけないと思っています。

頑張ります。

昨日は久しぶりに畑に出て野良仕事をしました。

きょうはその反動で手足腰背中が鈍い筋肉痛になっていて、動きがスローモーションです。

普段体を使わないので罰が当たったのでしょう。

昨日は大葉をかがりました。

枝葉は先日母が手折ってしまって、残っていたのは茎と根だけです。

根が枯れきっていないので泥がたくさんついていて、引き抜くのは力仕事になりました。

直径30~40センチぐらい塊で100本以上ありました。

一本ずつ引き抜くしか方法はありません。

最初の1本が畝全体に根を張っていてものすごく重かったので、根が枯れるのを待とうかとも思いましたが、待てば耕耘作業が遅れてしまいます。

そしてどうせ遅かれ早かれやらなければなりません。

体は大きいけど非力な私にとっては重労働でしたが、何とかやっつけました。

途中何度も休憩し、低血糖にもなってしまいブドウ糖を2袋も飲みました。

低血糖は久しぶりでした。

どこで低血糖になるか分からないので軽トラにもブドウ糖を常備しています。

昨日の場合、インスリンは指示量を打ち、昼食は普通に食べました。

普段より体を動かし過ぎたことで低血糖になったのだと思います。

午後の作業をするときは要注意です。

低血糖になると、体が萎えて力が抜け、冷や汗が出ます。

少しでも気配がしたらブドウ糖をのみます。

昨日は軽トラにあった分のうち2包を飲みました。

普段は1包で良いのですが、仕事量を考えて2包にしました。

夕食前の血糖値は111でした。

昨日は一日きばりましたが、きょうは母もダウンしています。

ボチボチやっていこうと思っています。

予定を少し繰り上げて、きょうからタバコを吸わないことにした。

今朝は朝の一服をしなかった。

朝食後の一服もしなかった。

そのままタバコを吸わないモードに切り替えた。

つもり。

 

2つある灰皿はきれいに洗った。

ライターは宝箱の中にしまった。

吸いかけていたタバコの箱は捨てた。

開けていない箱も1箱あったが、捨てた。

これで身の回りからタバコがなくなった。

あとはタバコを買わないことだ。

 

禁煙外来では、「一生一本も吸わない」という決心が必要だ、と言われた。

父の年齢まで生きるとしたらあと31年以上、母の年齢まで生きるとしたらあと25年以上。

「一寸先は闇」なので、明日にも一生が終わるかもしれない。

一生はどれくらい先まで延びて行くのだろうか?

終の刻まで、はたしてタバコを吸わずにいられるか?

試してみよう、と思う。

きょうのクリーン作戦、体調不良のため参加できなかった。

申し訳なかった。

無念。

このところ絶不調。

頓服の薬を飲んでもなかなかスッキリしない。

昨夜は8時過ぎに寝た。

きょうの稲荷様の掃除とクリーン作戦に備えるため、早めに寝て睡眠をたっぷり取って朝早く起きようとした。

狙いは的中。

5時に目が覚めて、いつもの朝の日課。

トイレ→体重測定→朝の一服→お茶を一杯→ブログの更新。

稲荷様の掃除は6時集合で、そろそろ明るくなってきたようだと外を眺めつつ、体から力が抜けていく。

ダウン。

いつものダウンの症状が出た。

畳の上に仰向けに寝て休息することしばし。

体に力が入らない。

頭もボーッとしている。

6時前に起きてきた母が声をかけたようだが朦朧としていた。

稲荷様に行くはずの時間になっても起き上がれない。

そのままボーッとして寝ていた。

意識はあった。

7時頃になって、母が区長さんに「体調が悪いのできょうのクリーン作戦は休ませて欲しい」と電話をしようかと言った。

そのときは否と答えたが、10分経っても20分経っても具合は良くならない。

仕方なく、電話をかけてもらった。

そのあとしばらくしてから遅い朝食を摂り、午前中はずっと寝ていた。

来客もあったが寝ていた。

この不調の原因が分からない。

夏の暑さで疲れがたまっていたのかもしれないが、体を使うような仕事はほとんどしていない。

薬はいつものように飲んでいる。

睡眠管理が少し乱れていたのかもしれない。

昨夜は上記のとおり早く寝たが、一昨夜は眠れなかった。

床に就いたのは10時。

途中トイレに2回ほど立った。

入眠したのは午前3時半。

いつもの薬をいつものように飲んで寝たのに寝付けなかった。

起きたのは7時半だった。

その不眠の疲れが今日の朝の不調につながったのかもしれないと思う。

病を得て早15年。

以来、睡眠導入剤、安定剤、睡眠薬の服用は欠かせない。

服用を忘れると眠れないし、眠れても眠りが浅くなり、翌日に疲れが残る。

適量を飲まなければ、多すぎると眠気が強く残り危険だし、少ないと寝不足になりこちらも眠気が残る。

体調と食事や疲れを勘案しながら薬を適切に使わなければならない。

毎日同じように過ごしていても日によって薬の効き目も睡眠時間も色々バラバラだ。

やっかいなものとつきあうようになってしまったが、身から出た病。

何とか平穏に暮らしていけるようにしていかなければ。

眠剤系の薬は今3種類。

以前のように強い薬ではなくなってきた。

だから微調整が必要なようだ。

アモバンやリスミーを飲んでいたころは、強制的に眠らされたようで目覚めの不快感があったが今の薬はそこまでない。

症状が良くなってきているわけではないが、他の処方薬とのバランスで今の眠剤の組み合わせになっている。

先日、禁煙外来を受診した。

カルテを作るための身長・体重測定があった。

お薬手帳を渡した。

私は15種類以上の薬の処方を受けている。

そして診察。

禁煙補助剤はチャンピックスという薬らしい。

私には精神疾患があるので処方できないと言われてしまった。

但し、精神科医がOKを出せば処方できるだろうとも。

そこで精神科に行き、禁煙をしたいのでチャンピックスという薬を使いたい。

前述のように言われてきたのですが、と相談した。

すると医師は、明らかな副作用は認められないので、どうしても使いたいと言うことであれば処方してもらってもかまわない。

但し緊張やイライラなど気分障害が出たときは服用をやめるように、とのことだった。

ので、再び禁煙外来を受診しようと考えている。

ココロの弱い私は薬の力でもを借りなければ禁煙はできるまい。

決心が必要なのだそうだ。

残されたタバコはあと7箱。

そこでピリオドを打ちたい。

きょう、禁煙外来を予約しました。

病院は天草市内の医院です。

電話に出てくださった方から少し質問をされました。

「気持ちは固まっていますか?」

「1日何本、何年吸っていますか?」

の、2問。

最初の質問には「はい」と答えました。

二つ目の質問には「20本×30年です」と答えました。

これまで何度か禁煙を試みてみました。

補助剤としてガムを使ったこともありました。

2週間ほど吸わなかったのが最高禁煙日数です。

今回の動機はひとつではなく不純なものもあります。

でも、まずは健康。

6月の人間ドックで肺機能が70歳代だと言われました。

タバコと運動不足のせいだと思っています。

このままでは肺機能が低下し、肺がんのリスクも高まると思います。

「長生きしなくても良い」と言うセリフを吐くことも多いのですが、糖尿病などの治療はまじめに続けています。

正直、先のセリフにはない「健康的な生活を長く続けたい」という願望があります。

喫煙権の悩みもあります。

周囲にはタバコを吸う人が少なくなってきました。

私には喫煙権があると思うのですが、嫌煙権の包囲網の前ではほとんどその権利は認められない機会が多いのです。

実際問題、熊本に住む弟や妹の家族に喫煙者はいません。

年に何度か訪ねるのですが、灰皿が出てくることはありません。

どうしても吸いたいときは、外か、車の中で吸っています。

そのときの悲しさ辛さ惨めさ虚しさは例えようがありません。

そんな気持ちから解放されたいとの思いもあります。

車で同乗者がいるときはタバコを吸うのをためらう場合もあります。

でもタバコが欲しいという渇望感から逃れることはできず、車中で吸ってしまうときが多いので何とかしたいと思います。

そしてお金。

タバコ代が月1万数千円かかります。

もったいない、別の使い方をしたいというのが正直な気持ちです。

母は常々、テレビなどで喫煙や禁煙の話題になると「タバコを売らなければ全部解決する」と言っています。

この言葉はヘビースモーカーの私にとっては、痛い一言です。

そして親戚友人の中に肺がん患者がいることも動機のひとつです。

「タバコの煙は絶対ダメ」な人がすぐ身近にいるんです。

色々書きましたが、タバコの魔力は強烈です。

ここまで書いたので、パソコンから離れて一服したいというのが今現在の本音です。

書き終えたら多分、いや必ず一服するでしょう。

私の禁煙はまだ始まっていませんが、スタートするときは万全の体制で臨みたいと思っています。

「決心」をしました。

今月も中日。

お盆も過ぎて、少しは暑さが和らいでくれないかと思うきょう。

 

今年の盆も慌ただしく過ぎていった。

父は結局盆前には退院できず入院したまま。

 

13日は妹が子供二人を連れて帰省。

1泊だったが楽しい時間を過ごした。

 

昨日15日は昼は父のところに行き、夕刻はお墓に行ってお参りをした。

一人だけでの盆の墓参りは初めて。

私もだがご先祖様も寂しかったんじゃないかと思った。

 

夜は精霊流しの行事にスタッフとして参加。

帰宅したのは10時過ぎだった。

 

きょうは大葉を採る予定だったが寝過ごした。

母は早く起きたようだが、気分が乗らなかったのか大葉採りはしなかった。

今年は値が安かった。

1パック100枚で200円ほど。

諸経費を引くといくらも残らない。

今年の大葉も終わりだ。

 

 

暑い日が続いています。

夜中の1時に起きてオリンピックサッカー男子の試合を観るつもりでした。

しかーし、目を覚ましたのは午前3時。

試合が終わった直後でした。

残念。

観たのは得点シーンと負けたというニュースでした。

3時半、再び眠りに就きましたが、朝寝坊をしてしまいました。

 

きょうは朝から除草剤を撒く予定でしたが、睡眠不足からなのか体調が芳しくありませんでした。

遅い朝食のあと、いったん外に出ようかと考えましたがきょうも日差しが強い。

結局、午前はあきらめました。

昼食の時刻に合わせて、父の入院先へ母と共に向かいました。

 

途中、役場、農協、郵便局、在介に寄っていきました。

コンビニで二人分の昼食弁当を買いました。

父はまあまあの様子。

転院先が空くまで入院継続です。

 

昼食のため車椅子に移乗させてもらい、母の介助でお昼ご飯を食べました。

食欲はあり、出されたものは全部食べました。

食事のあとは自分で歯磨きをしました。

病院でしつけられたようで良い傾向です。

 

父の食事のあと、3人で休憩室に行き、私と母は弁当を食べました。

父はテレビを観ていました。

「梅ちゃん先生」を観ていましたが、終わったら病室へ戻りました。

看護師さんにお願いして、ベッドに移動させてもらいました。

横になって、私たちに「もう帰っていいよ」というそぶりを見せました。

父は喋れないので、「帰ってよか?」と訊いて、首を縦に振ったので握手をして病室を後にしました。

 

家に帰ってきたのは午後2時半過ぎ。

病院では雨が降っていたので、洗濯物が濡れてしまったなと話していたら、家に戻ってみると洗濯は取り込まれていました。

隣家のおばさんが、空が暗くなってきたので取り込んだ、でも結局雨は降らなかった、と言いに来てくれました。

上がってお茶でも飲んで行ってと言うと上がって来たので、おばさんと母と3人で色々話をしました。

雨が欲しい、農作物の出荷価格が上がらないので苦戦していること、など、話は尽きませんでした。

 

おばさんが帰ったあと、午後5時頃になってから着替えて墓に行って来ました。

道は本家の人が草を払ってくれていました。

墓に行ってみると、萱も蔓も伸び放題。

とりあえず鎌で草を切り、軽く低木の剪定をしてきました。

すぐ近くなのになかなか墓所に足が向かない私です。

納骨堂を建立して10年。

管理は楽になりましたが、盆正月と彼岸の時期以外はなかなか行かず、ご先祖様に申し訳ないです。

今年も反省しながらの墓掃除となりました。

日を改めて柴を替えに行きたいと思っています。

今年のサマージャンボ宝くじの抽選が、きょうありました。

私は今回は2000万サマーを10枚購入。

結果は末等300円が1枚当たりました。

いつもと同じです。

 

でも、宝くじさんありがとう。

2000万円当たったらどう使おうか、真剣に悩みながら眠りに就いた夜もありました。

その楽しんだ時間が私のウキウキ時間。

イヤなことや辛いことは頭の中から消え去り、当選の喜びを夢に見る。

幸せな時間でした。

 

年に何回かあるジャンボ宝くじの販売。

根気よく10枚ずつ購入を続けています。

これまでの最高当選は5万円。

もう10年以上前のことです。

 

元手は回収できないと思いますが、夢見る時間が楽しいです。

私はコツコツ型ではなく射幸心の強いハラハラ型です。

あまり物事を順序よく整理したり、計画を立ててその通りに進んでいく、と言うことは苦手です。

思いつくまま気の向くままに生きている感じです。

 

きょうは立秋。

サマーの次はオータム。

夢見る時間にまた投資していくと思います。

強運が回ってこないかなぁ。

 

今日も暑さは続いている。

午前、畑に出た。

大葉に追肥をした。

液肥を上呂でかけてきた。

 

ショウガの中の草かがりをした。

手の甲には泥がいっぱい付いた。

90分ほどの作業だったが、汗をいっぱいかいた。

 

午前、椿油をあまくさ宝島市場にゆうパックで送った。

売れ行きが良いと助けるけど。

夏場は少し需要が落ちる。

暑いからべた付くのかもしれない。

 

午後はグテッとして過ごした。

夜になってエアコンのスイッチを入れた。

このところ熱帯夜続き。

寝る前にタイマー設定して寝付いている。

 

夜、防犯パトロールに行って来た。

きょうのメンバーは4人。

1時間ほどのゆっくりスピードのドライブになった。

人はほとんど見かけなかった。

車にも遇わなかった。

 

オリンピック、男女サッカーに期待したい。

今夜観るかどうか決めあぐねている。

真夜中の中継。

迷うなぁ。

昨日よりはしのぎやすかったかもしれない。

午前、農協と役場に立ち寄り、父の入院先へ向かった。

お昼前に着いて、昼食に間に合った。

 

今日のお昼のメニューは、冷やし中華だった。

麺は長いまま。

普段父が使っている右曲がりのスプーンでは麺をすくえない。

助手さんが割り箸を持ってきてくれて、母と私が交代で食べさせた。

先週もうどんのときがあり、苦労して食べていた。

 

右麻痺の父は、利き手ではない左手でスプーンを使って食べる。

スプーンで掬えるものは何でも食べる。

ときには手づかみで食べるときもある。

しかし麺はダメだ。

手づかみで食べるのも簡単じゃない。

父の食事は麺を止めてもらうようにするということになった。

 

昼食は車椅子に座って食べていた父。

食事のあと、母と3人で少し散歩をした。

と言っても、同じ階の休憩室までだったが、父は久しぶりにテレビを観たようで、「梅ちゃん先生」を食い入るように見つめていた。

病室にもテレビはあるがイヤホン使用のため、父には装着ができないので普段はテレビは観られない。

家では自分でオン、オフの操作ができるようにしている。

ときどきやってきては点けてみたり消してみたりしているのだが、病院ではやはり不自由だ。

早く退院できるようになって欲しい。

 

帰路、伯母から頼まれていた米を買いにディスカウントに寄ったが、いつもより400円も高かったので別の店に行った。

その店ではいつもの値段で、つまり400円安かったから買って帰ってきた。

米の値段はどうやって決まるのだろうか。

同じ銘柄同じ量でも店によって価格に大きな差がある。

解せない。

 

それにしても暑い。

昨日は台風の影響もあってか風が吹いていたが、きょうは随分凪になった。

暑さで何もできない。

サボっている。

腰もまだ少し痛い。

暑さに負けないココロが必要かも。

 

このところ朝寝坊が続いている。

毎朝7時過ぎに起きている。

オリンピック中継に見入って、床に就くのが遅くなってしまっている。

 

今朝は6時半に母から起こされた。

かなり眠かったが、何とか起き上がることができた。

そして二人で大葉をちぎりに行った。

8時半過ぎまでかかってちぎり終えた。

帰宅して朝食。

そのあとは選別作業。

 

昼食と午睡をはさんで午後も選別作業。

そして夕食後に箱詰め作業。

きょうは一日、大葉に費やした。

 

先刻、雨が降り始めた。

台風の余波だろう。

今日は涼しかった。

夜もエアコンなしで過ごしている。

 

この雨で、また夏草が伸びるだろうなぁ。

頑張って草かがりをしなくてはいけない。

暑い日が続いている。

元気なのはギラギラ輝く太陽と、伸び放題の夏草たち。

人間はこの暑さでバテているようだ。

 

きょうも結局何もしなかった。

一昨昨日味噌麦を蒸し、麹を寝かせた。

昨日、大豆をゆでて味噌をついた。

 

味噌はもう底をついていて、もう少し早くにつく予定だったが・・・。

天気や父の入院の影響もあり、日延べしていた。

原料は丸麦20キロに大豆が5キロ、麹菌と塩、完成品は40キロ近くになった。

 

家の中にはかまどがないので、味噌やもちをつくときは外で簡易のかまどを使って煮炊きしている。

不便。

以前は竃納屋があり、平釜も五升釜も専用があったが、家を改造したため納屋がなくなった。

普段の生活は便利になったが、味噌、餅のときは不便になった。

 

焚き物も必要。

普段は使わないが、薪も必需品だ。

いつまで家で味噌や餅をつけるのか分からない。

母が元気なうちはそうするだろうが、私の代では難しいと思う。

 

昨日今日と父のところに行って来た。

どうやら淋しいようで、帰ろうとするとまだ帰るなと宣う。

さりとて喋れない父。

間を保つのは大変だ。

 

今日で7月も終わり。

五十路初の夏は真夏日・熱帯夜の連続で、毎晩エアコンの世話になっている。

昨夜は疲れていたのだろう、薬を飲む前にすぐに寝入ってしまった。

夜中の1時に目が覚め、薬を飲み直して再び眠りについた。

薬を飲まずに寝てしまうと、翌日は必ず具合が悪くなる。

夏は特に辛い。

 

本格的に暑いのはあと1月ほどか。

何とか体調を崩さずに夏を乗り切りたい。

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