昨日から、母のたっての願いを叶えるべく、熊本まで行って来た。

昨日からはじまった県高校総体、陸上競技の応援に行った。
出場するのは弟の次男で高三になる甥。
400m走に出場した。

朝8時頃出立。
長嶺の妹宅に立ち寄ったあと、午後1時前に弟宅に着いた。
幸い弟も半日休みが取れたので、弟の嫁さんと4人で出かけた。

会場はうまかなよかなスタジアム。
予選は14組もあって、1着とタイムで10人が準決勝へ進むとのこと。
時刻は予定より少し遅れて午後2時半過ぎ。
いよいよ男子400mの予選が始まった。

甥は後半の組で、走るのは一番外の第9レーン。
トラックのカーブが一番長い距離になる。
私たち4人は第4コーナーの応援席付近に陣取った。
プログラムが進んでいく。

高校生のスピードは400mを50秒ぐらいで走りきる。
ものすごく迫力があった。
コーナーを回り込んで、ホームストレートを一気に駆け抜けていく。
いよいよ甥の組がはじまる。

スタジアムにはメガホンを持った生徒たちが、それぞれの学校の応援をする。
予選は何組もあるので、だんだんと会場の応援のボルテージも上がっていく。
いよいよ甥の出番。

予選の9組目だったと思う。
スターターの右手がピストルを挙げる。
「用意」のコールのあと、一瞬閃光が走る。
そして「パーン」という乾いた音が響き渡る。
スタートの瞬間だ。

競技場が広く、スタート位置から遠いため、音速が一段遅く伝わる。
バックストレートでは順位はなかなかわかりにくい。
大外のレーンの甥が第3コーナーから第4コーナーに向かって駆けてくる。
見慣れているはずの甥の顔が真剣必死に近付いてくる。

最後の直線になったとき、眼前を先頭で駆け抜けていった。
そしてそのまま、最後は少し流してゴールした。
まずは1着で準決勝へと駒を進めた。

母は身を乗り出し、スタートと同時に手を叩き、甥の名前を叫び、頑張れ頑張れを叫ぶ。
私も手を叩いて、視線は甥の軌跡を追いかける。
ゴールしたあとも興奮冷めやらない。

甥が陸上競技を始めたのは中学生のときから。
弟の長男で兄貴になる甥も陸上部だった。
2歳違いの弟も兄に続いて陸上を始めた。
で、弟の方が速くなった。

速くなった弟は記録を伸ばし続け、今年は良いタイムが出ていた。
母は、一度でもいいから彼の走る姿を見てみたいと切望していた。
話しには聞いても、実際走るところ、練習なども含めて全く走る姿を見たことはなかったからだ。
この大会で初めて甥の走りを観ることになった。

無事、予選を通過した甥は、およそ2時間後に、準決勝を走った。
準決勝は3組、24人。
各組2位までとタイム順で2名、計8名の決勝出場者を選抜する。

眼下では、走り幅跳びの競技が進んでいた。
男子8種競技の走り幅跳び、そして女子の走り幅跳びだった。
各校の代表が出場するのだろう、多い。
女子の優勝記録は5m50cmだった。
すごい跳躍力だ。
私は高2のとき5m丁度しか跳べなかった。

さて準決勝。
このレースが一番緊張した。
2位以内に入らなければタイム差での勝負。
負けたら決勝もない。

先ほどの予選のレースとは違う。
力をださねばふるい落とされる。
余裕はない。

甥は昨日、3回走る準備をしていた。
予選、準決勝、そして当然決勝に残って、6位内の入賞を目指す。
南九州大会へ出場する権利を得るためだ。
ここで後れを取れば、今までの努力は報われない。

場内アナウンスが選手の紹介をする。
レーンと名前と学校名を一人ずつ紹介していく。
甥は3組目に登場した。
さほど緊張したそぶりも見せず、ダッシュを試して淡々とスタートに備える。

前2組のトップはどの組も50秒を切るタイム。
大会新記録も出た。
優勝の本命は47秒台で走る。
超高校級だが、年齢も甥よりひとつ上になるそうだ。

緊張はとけない。
場内の応援の声も一声高くなる。
私たち4人が座っていたのは中段付近。
いつの間にはその下段には、応援の高校生たちが占拠していた。

走り幅跳びの応援。
そしてトラックでは5千mタイムレースが2組終わって、女子400mの準決勝、そして男子400mの準決勝と続いた。
どの学校も声援が飛び交う。

そしていよいよ準決勝3組目のスタート。
スタートは一発で決まった。
予選とは違い、力は拮抗している。
全力で走る、走る、走る。

そして第4コーナー、甥は2位で通過。
そのままゴールへ走り込んだ。
決勝進出が決まった瞬間だった。

そして2時間後、昨日最後の種目、女子400m、男子400mの決勝が行われた。
もうすでに帰り支度を始めている生徒たちもいる。
私たちは応援席の階段を降り、トラックに一番近い席に陣取った。
選手の息遣いが聞こえるような位置だ。

決勝がスタートした。
歓声は聞こえない。
聞こえるのは自分の声のみ。
甥の名前と頑張れ頑張れと叫ぶ自分の声しか聞こえない。
隣に座っているはず母の姿も見えなかった。
見えたのは一点、セパレートコースを走る甥の姿のみ。

第4コーナー、甥は中盤で走ってきた。
そしてあっという間にゴール。
集団でなだれ込んでいったt。
数人がゴール後、倒れた。
甥は倒れなかった。

長いような、静かな時間が過ぎた。
1位は本命の選手だった。
2位以下は競っていた。
電光掲示板に決勝の結果が表示された。

5位。

甥は県代表のメンバーになった。

私たち4人はガッツポーズをした。
感激で身体が震えた。
涙が出てくるほどうれしかった。

今年の熊本県のレベルはとても高いものだった。
甥の記録は49秒42、昨年の県大会なら2位に相当する記録だった。

南九州大会は2週間後、沖縄県で開催されるそうだ。
そこで6位内に入賞すれば、インターハイの切符を得ることができる。
甥の願いが叶う。

甥はこれまで、有言実行で記録を伸ばし続けてきた。
次の大会も大いに期待し、応援をする。
母の念願は叶い、甥はそれに応えてくれた。
感動をありがとう、こうちゃん。
きょうは午後、予定通りカリカリ梅を漬けた。

朝9時頃、梅を水洗いし塩水に浸けた。
水12リットルに塩900gで塩水を作った。
4時間後の1時頃、ザルに上げて水切りをした。

梅は12キロ、水気を切って梅を割って種を取り出した。
梅割の道具を使って割ったので、作業は1時間ほどで終わった。
ポリ容器のビニール袋に、割った梅の果肉と氷砂糖を交互に重ねて入れた。
そしてホワイトリカーを入れて、密閉した。
氷砂糖は全部で6キロ、リカーは3カップ使った。

あとは液が上がってくるのを待つ。
液が上がって来たら、赤紫蘇で色付けをする。
色付けしたら、早めに食べる予定。
今年は割った梅の種の取り出しがスムーズに行ったのでさばけた。

去年は少し失敗したので、今年は上手く行ってほしい。
旨いカリカリ梅になりますように。

昨日、梅をちぎった。
去年はエンマエの梅の木にも実がなっていた。
大粒の梅だった。
が、今年は全く実を付けていない。
去年、枝を下ろしたのでそれが影響したのかもしれない。
あまり実を付ける木ではない。

昨日はツボネの梅をちぎった。
伯父から役職の就任記念樹としてもらった梅の木。
母のきょうだいは全員もらったが、実を付けるのは我が家の木のみ。
他の家の梅はならないらしい。
植えた場所が良かったのか、苗が良かったのかは分からない。
毎年定量の実をつける。

で、昨日は母と梅をちぎった。
全部で27キロあった。
15キロは塩漬けにした。
12キロはカリカリ梅を作る。
塩漬けはきょう済ませた。
明日は雨の予報なので、屋内でもできる梅じのをする。

カリカリ梅の作り方は数年前、ネットで情報を得て作り始めた。
材料は梅と氷砂糖とホワイトリカー。
塩水に4時間ほど浸けてあく抜きをする。
これをしないとカリカリにならない。
水気を切って、梅を割り、種を取り出す。
使うのは果肉のみで、種は捨てる。

梅を割るのに手間がかかる。
最初に作ったときは母が入院中だったので、全工程一人でやった。
そのときは梅を割るのにしゃもじを使った。
ネットに書いてあったとおりにやった。
梅をまな板の上にのせて、しゃもじを重ねて叩いて一個ずつ梅を割った。
しゃもじが1本、2つに割れてしまった。

一昨年、梅を割る道具を買った。
1年に1回だが役に立つ。
いよいよ明日が出番だ。
果肉と氷砂糖を交互に重ねて、最後にホワイトリカーをかける。
密閉して水が上がったら、赤紫蘇で色をつける、予定。


今朝は叔父と母と3人で、プラムの取り木をした。
伯母の畑の端っこに植えてあるのだが、これの実がとても美味なのだ。
良い木なので、植え直すために取り木をした。
9月頃には根が出る見込。
昨年、時季外れの9月に叔父がやっていた分にも根がついていた。
以前一度取り木をしたのだが、そのときは失敗をしてしまった。
当時は樹勢が衰えていた。
きょうは若枝を取り木したので、成功する確率は高いとみている。

我が家のプラム。
従妹の小学校卒業記念に買った木だが、自家受粉するので1本でも実がなる。
たくさん実を付けて味も良い。
但し、日持ちがしない。
この木は二十数年になり、もう20本以上に増えている。
取り木をして、欲しがっていた親戚や知り合いに苗を配ったのだ。
直根がないので風に弱いが、枝なので親木全く同じ実を付ける。
取り木は今が時期なので、ロウバイも何本か取ってみようと思っている。
どうか全部成功しますように。
このところ、好天続き。
但し、体調は荒天すぎる。

いつものようにアスカイヤーは出るし、身体に力が入らない。
頭もボーッとしていて、何だかふわふわした感じだ。

昨日は糖尿病の通院日だった。
ヘモグロビンA1cは6.9だった。
ちょっと改善。
但し、医師からは6.0以下になるように努力をするようにと言われた。

最大の課題は体重の減量。
ここ4日で3キロほど減ったが、今朝の体重は107.2キロだった。
MAX115キロまで行ったが、その頃よりは減っている。

一昨年の夏は2桁98キロ台まで下がっていた。
その年の9月からタバコをやめた。
そのためか、体重は再び徐々に増えてきて112キロ近くまでなった。

一時期より減ったが、2桁には遠い。
毎朝体重測定をして、ブログに書いている。

毎日増減がある。
増えている日もあれば減っている日もある。
一喜一憂というか、まあそんなものだ。

食事と運動がカギを握っている。
食事は、食欲旺盛。
胃袋は大きい方だと思う。

運動は嫌い。
身体を動かすのは苦手。
しかもこの体重なので、まとまった距離は歩けないだろう。

体調が悪いこともあって、畑にはほとんど行かない。
草は伸び放題だが、草刈り機を使い回せる自信が無い。
頭がボーッとしているので、危険な作業は控えている。

精神科は先日診察を受けてきた。
薬の変更はなし。
院長は薬を減らして行きたいようだ。
私にも異論はないが、体調は変わらず好転の兆しはない。
ので、続行と言うことになった。

安定剤系の薬、向精神薬を服用すると太りやすくなる。
糖尿病対策のインスリン注射も太りやすくなる。
体重を減らせない言い訳だが、何とか2桁まで戻したいとは思っている。

服のサイズは現在、上半身は5L、下半身は4Lでちょうど良いぐらい。
下着も上は5L、下は4Lだ。
本当は4Lぐらいのはずだが、鋭くとがった腹が前に出っ張っているため上半身は5Lになってしまう。

服は、ある。
一時期、体重が急激に増加していたころに、色々買い漁っていた。
一度も袖を通さずお蔵入りになっているのも多い。
ズボンも何本もある。

ウエストサイズは115。
120になると大きすぎ、110では小さすぎる。
ユニクロに行っても入る服は1枚もない。
ユニクロではウエストサイズは最大100までだ。

ゆるゆるのおなかのベルト位置でも大きさは違う。
ベルトは長さを自由に調整できる布ベルトを使っている。
普通のベルトは110センチ。
なので普通のベルトは使えない。

ゆるゆるだらだらと書いてきたが、そろそろ畑に行く時間。
母がだっきゅうを掘っている。
運びに行かなくては。
それでは、また。

段落タイトルを記述します

今日もそうだったが、車で出かけるとき、いつもラジオを聴いている。

私の住む天草西海岸は奇岩景勝があり険しい地形。

そのため、幹線道路にはトンネルや橋が多い。

 

ラジオはNBCを聴くことが多い。

長崎からの電波が良好なためだが、RKKの電波が届きにくいせいもある。

NHKも、熊本局より長崎の方が良く入る。

で、河浦まで行くと熊本の方も良く聞こえるようになる。

しかも、河浦方面はトンネルの中でもRKKやNHK熊本の放送を聴くことができる。

ところが、高浜、下田、福連木方面のトンネルではラジオの電波が入らない。

国道389も主要地方道の本渡下田間も、トンネルでラジオが聴けない。

普通は聞き流すだけだが、肝心なところでトンネルに差し掛かると何だかがっかりして、情けないと思うときがある。

ラジオもまともに聴けない、そんな辺鄙なところで生まれ育ったのだから仕方ないが、辺鄙だからこそ情報を適切に受発信できる環境が欲しいものだ。

15年ほど前になるが、FMKのカバー率は熊本県の98%と言うことだった。

当時、私は家でFMKを聴くことができなかった。

カバーできていない2%の方だったが、さいきんはFMは聴かなくなったので、気にしていない。

さて、福連木から大江までのトンネルの中でラジオを聴くことができるようにしてもらいたいが、どこにどうお願いしたら良いか分からない。

国道や県道は県が管理しているので、県にお願いすれば良いのかなぁ。

それとも、電波が届くようにNHKやRKKにお願いすれば良いのかなぁ。

NHKはテレビの天気予報で長崎県島原の予報も教えてくれる。

島原は熊本からの電波が届きやすいのだろう。

だから多分、NHK熊本を観ている人も多くいるので、サービスで長崎の管轄分も伝えているのだろう。

天草西海岸はその逆だ。

以前は我が家もNHK長崎とNBCテレビをみていた。

MBC南日本放送もみることができた。

でも、全国放送は同じだが地域の番組は県が違うので、県内の情報を知ることができなかった。

そこで、地域でテレビ組合を作りアンテナを立てて、有線で熊本のテレビを観ることができるようになったのは昭和50年代だったと記憶している。

先人のお陰で、今は熊本の放送局のテレビを観ることができて有り難いと思っている。

 

ドライブのお供で聴いているラジオ放送。

インターネットでもラジオが聴ける時代になった。

トンネルの中もケータイやラジオが使えるようになってくれることを切に願う。

 

昨日からまた雨。

きょうも降っている。

 

前回日記を更新したのは椿まつりの前日だった。

それからもう50日も過ぎてしまった。

今年も早いもので、やがてGWだ。

 

お陰様で椿まつりは好天に恵まれ、例年どおり盛況のうちに終えることができた。

来年もできるようにやっていきたいと願っている。

 

大江の八幡様の春祭りも無事終わった。

御神幸行列に加わったが、歩けずリタイアした。

体力不足だ。

 

太りすぎていて運動不足でもある。

頭ではどうかしなければ思っているが、実行力がない。

運動もしてなければ食べるものにも気を配っていない。

 

ときどき辛いときがある。

でも、原因は自分にあるので耐えるしかない。

無理をしないでいこうと思う。

 

昨日のつぶやきに天が応えてくれた模様。

 

きょうは、明日行われる「あったか天草椿まつり」の準備だった。

 

朝から雨模様の天候だったが、舞台(ステージ)造りは何とか午前中に終わった。

 

午後も、そして夜になっても雨がシトシト降っている。

 

が、この雨も24時頃には止む予報。

 

そして明日は曇り、午後晴れてくる予報。

 

最高気温もきょう並みの16度になる見込。

 

「あったか」になって欲しい。

 

 

今度の日曜日、明後日3月2日は第23回「あったか天草椿まつり」だ。

 

雨よ降らないでくれ、と願い、祈る。

 

今月は週末は毎週晴れて穏やかな日和だった。

 

ところが何故か、天は椿まつりにいたずらをする。

 

明日3月1日の午後から雨だという。

 

このところ天気予報はよく当たっている。

 

前日準備は明日午前中に終わる見込み。

 

雨に遭わずに済むだろう。

 

まつり本番は明後日、開始式は午前10時から。

 

何と市長さんも来賓としておいでいただくという。

 

有り難いことだ。

 

 

あったか天草椿まつりの「あったか」には3つ意味があるという。

 

ひとつには、春という季節の「暖か」

二つには、天草の人の心の「温か」

三つには、天草にこんなところが「有ったか」 という「あったか」なのだそうだ。

 

今年は花がたくさん咲いている。

 

今が見頃だ。

 

雨が降らずに、お客さんもたくさん来てくれると有り難い。

 

地元の小学校の行事も入っているようだし、雨模様なら客足も鈍るかもしれない。

 

でも、椿公園でしかできない「お・も・て・な・し」を準備して待つことにする。

 

ぜひおいでいただきたい。

 

西平椿公園の様子

 

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きのうから第23回あったか天草椿まつりがはじまりました。

西平椿公園のやぶ椿も見頃を迎えています。

今年は例年になく、花がたくさん咲いています。

 

メインは3月2日(日)です。

たくさんの皆様のご来園をお待ちしています。

 

気の早い桜も咲いています。

 

土日は椿油やデコポンなども販売しています。

 

 

前回の日記の更新は昨年の大晦日でした。

きょうは今年初めての更新なので、謹賀新年のご挨拶です。

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」

早いもので、今年ももう2月です。

1月行く月、2月逃げ月、3月去る月と、年初の3ヶ月は足早に過ぎていくようです。

きょうは建国記念の日。

午前、歯医者さんに行って来ました。

入れ歯のかみ合わせの型取りでした。

次回は合わせてくれると思います。

さて、あったか天草椿まつりの事務局を引き受けて2回目のまつりが間もなく始まります。

今週の土曜日に椿まつりの開催を知らせる幟旗を立てて、西平椿公園への誘導をします。

そして、15日から3月1日までの土日は、椿公園ガイドということで公園の案内、コーヒーなどを振る舞います。

天草椿油や、カメリアクラブのメンバー栽培のミニトマト、地元農家のミカン不知火などを販売する予定です。

また、椿スケッチコンテストの作品応募受付も行います。

午前9時から午後3時半まで椿公園に居ますので、皆さんどうぞおいでください。

メインイベントは3月2日(日)午前10時開会です。

地元の人のギター演奏や、若手歌手のステージ、大道芸などが行われます。

また、海賊鍋やバーベキュー、おにぎりのバザーもあります。

また、福連木子守唄まんじゅうなど特産品の販売も行われます。

椿スケッチは当日も受付し表彰式も行います。

特別賞はお米10キロか、デコポン5キロです。

まつりの最後には紅白のもち投げをします。

もちが好きな方、拾うのが好きな方、見ているのが楽しみな方はぜひおいでください。

予定ではもち投げは2時半頃からになります。

椿は桜とは違い、一気に開花するものではありませんが、やがて公園内の椿も見頃を迎えます。

今年は、椿の花がたくさん咲いています。

本当にたくさんたくさん咲いています。

今年の見頃は2月下旬頃なのではないか、と、私は思っています。

願わくば椿まつりの期間、イベント日に雨が降らないこと。

前22回までの間、3回ほどイベントが中止されました。

今年も降らないで欲しいと思っています。

もし仮に雨が降っても、事前に準備してある特産品などの販売は行う場合があります。

まあ、現在一番気になっているのは椿まつりのことなのですが、

今週の金曜日には預かっているお宮の会計の監査もあります。

次週はお宮の総代会も予定されています。

今では随分なりを潜めていますが、病気の症状が出ないことを願っています。

平成25年もきょうで終わり、明日から平成26年が始まる。

1年暮らすのが短くなったような気がするのは年齢のせいかもしれない。

子供の頃は、あんなにたくさん遊んでも、時間があった。

凧揚げ、コマ回し、釘抜き、ビー玉、花にくだん、遊びもたくさんあった。

 

齢50を過ぎてなお親と一緒に暮らし、パラサイトとして生きている。

齢50でも子供は子供、親は親。

老親から見れば、私はまだまだ子供なのだと思う。

 

実は昨日、家の中でタコトッタ。

あぐらをかいていて、左足が少ししびれたような感じだったが、立ち上がろうとしたときに、

左足が引っかかり家の中でタコトッテしまった。

左足の膝の外側をテレビ台の角にぶつけて、傷になり血が出た。

 

私はどうやら体年齢が老化している模様。

昨年の人間ドックでは肺活量が70歳と言われた。

ので、タバコをやめることにつながった。

 

西保健センターの保健師さんが看護師さんを連れて、何度か我が家を訪問してくれた。

で、体重測定をして、年齢を設定、身長を設定すると色んなデータが分かるハイテク体重計で計測したところ、私の体年齢は何と76歳。

すでに老人の域に達しているのだった。

 

このところ体力が落ちていることを感じるときが何度かある。

まずは徒歩。

早足ができない、息がすぐに上がってしまう、長く歩けない。

力仕事、ミニ耕耘機を軽トラに乗せるのに、勢いをつけなければ乗せられたくなった。

ジャガイモの収穫をして、コンテナ10箱を運ぶことで精いっぱいになってしまった。

 

そして恐いのは、やはり家の中でつまずくようになってしまったこと。

日に何度か、コタツ布団などにつまずく、つまずきそうになることが多くなってきた。

最近になって気付いたことのひとつに、どんな座り方をしても、体幹が左に傾いていることに気付いた。

床屋さんでも、すぐに頭の傾きを修正されてしまう。

車の運転でも、左側に傾いている。

そして、しびれるのもつまずくのも、左足だ。

何とか早めに修正したい。

 

加えて、身体のバランスの悪さ。

片足で立ったまま靴下をはけるかどうかではなく、片足で立つこと自体ほとんどできない。

何とか治したい。

手指の不器用さも、このところ顕著になってきた。

カッターシャツの袖口のボタンを留めることができなくなった。

左手では右手の袖を何とか時間をかければできるときもある。

右手では袖口のボタンを留めるどころか、片手ではほとんど役に立たない。

自分の不器用さを認識しつつ生活をしていかなければならない。

 

来年の抱負は来年考えるとして、当面はここ2週間で増えてしまった体重を元に戻すことを目標としたい。

きょうはカライモ掘りをしてもらった。

 

カライモ畑は家の近くの2枚の畑。

上の段はイノシシにやられていて、ほとんど収穫はなかった。

 

何日か前、近所の人からカライモ畑にイノシシが入っていると聞いた。

その日の夕暮れ時、畑の脇にネットを張った。

でも、反対側の方から来たらしく、上の段はほぼ全滅だった。

 

下の段はあまりやられていなかったので、何とか食べる分はあった。

人家から10メートルぐらいしかないのに、イノシシにやられてしまった。

我が家がイノシシの被害に遭うのは初めてだ。

 

上の段にはアメリカ(七福)、安納紅芋、安納紫芋を全部で8畝作っていた。

安納紫以外は指の太さほどの芋しかなかった。

全部で土のう袋に3袋ぐらいの収量だった。

 

下の段は上の段はの半分の広さで、安納紅だけ4畝作っていた。

こちらは程々になっていて、土のう袋に12袋ほどあった。

残っていて良かった。

 

イモ掘りはまだ先にしようかと言っていたが、昨日母が畑に行って上の段が壊滅状態になっているのに気付いた。

そこで昨夜、急きょ従兄にカライモ掘りをお願いした。

すると従兄はきょう、朝8時頃来てくれた。

 

ツラを払い、芋を掘って選別し、土のう袋に入れて小屋まで運んだ。

きつい作業のほとんどは従兄がしてくれたし、途中からは何気にやってきた伯母も加勢してくれた。

私はほとんど役立たず。

 

重い体と不器用な手先ががアダとなって、カライモを袋に入れることさえままならない。

最近は身体を動かすこともなく、ダラダラと過ごしていたので体も鈍っている。

マジで体重を減らさなければ、と感じたきょう。

 

この3ヶ月で3~4キロは減っているが、まだまだ。

何とか減らせるように頑張ろうと思っている。

歩くこともしなければならない。

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