昨日の天気予報では、きょうは午後から雨と言うことだった。
一昨日、タマネギをかがっていたので、きょうは取り込まなければならなかった。
雨ならば、と言うことで5時半に起床し、朝飯前に母と作業をした。

途中、小さな雨がポツポツ降り出してきた。
慌てた、が、雨はポツポツ程度で小雨にさえならなかった。
気は急くが、仕事は思うようにはかどらない。

畑から道路までは上り坂。
土のう袋に40個ずつ詰めて2袋ずつ運んだ。
全部で8袋、その遠いこと遠いこと。

さらに、母がきびったタマネギを運んだ。
4~5個で1組、2組で1下げ、6下げ分持って運んだ。
8往復した。

今年のタマネギは小さかった。
小ぶりで使い勝手は良いかもしれない。
軽トラに乗せて運び、家と小屋との間の軒先に吊した。

足腰がクタクタ。
父をデイサービスに送り出して母の友人宅を回った。
私の友人の分、合わせて8軒分。

雨を警戒して、タマネギは軽トラではなく私の車に積んで回った。
帰宅したのは11時半過ぎだった。
堆肥をやっていたトウモロコシに肥料をやり、切りかけることにした。

腹は減っていたが、雨が降ると思い込んでいたので、
トマト、白菜にも堆肥と肥料をやり、切りかけた。
一時、パラパラと大粒が降ったが、その後雨の気配はなし。

1時半頃、作業を終えた。
クタクタになって上がってきた。
ネットで予報を確認したら、今日は曇りの予報になっていた。

雨は明日の午後から降る模様。
で、肥料をやっていた甘藍の苗に水をかけてきた。
午後は休んだ。

雨に追われると思って早朝から頑張った。
雨降らず。
仕事ははかどって良かった。

昨日はすし市場というところでお昼を食べた。
15皿食べた。
腹一杯になった。

次は、髪切り屋さんで母が散髪をした。
そして少々の買い物をして帰宅した。
私は食べすぎがたたったのか、気分が悪かった。

ので、母が一人でタマネギをかがった。
800本ぐらいだったと聞いた。

きょうは、午前中にタマネギのしのをした。
根を切り、葉を切り、並べて干した。
明後日、取り込む予定。

今年のタマネギは倒れるのが早かった。
葉が倒れてから1週間ぐらいはまだ大きくなると言う。
それ以上長く置くと、首が腐れて、きびれなくなってしまう

首をきびって軒下に吊して保存する。
きびらずに、網に入れた去年は大失敗だった。
ほとんどが腐れてしまった。

今年はきびって干す。

そして、9月頃植えるという、タマネギの苗も取った。
この分も400本ぐらいあると思う。
楽しみだ。
火曜日、夏野菜の苗を買ってきた。
水曜日からきょうまでで、何とか植えてしまった。
雨前に植えられたので一安心。

植えた苗はみんな自家用。
ナスビ、ピーマン、パプリカ、キュウリ、スイカ、カボチャ、トマト。
白菜とトウモロコシ、インゲンも植えた。

スイカは例年どおり、タマネギ畑の中に植えた。
メロンはもうしばらくしてから種を蒔く予定。
ここ何日かは畑に行った。

普段あまり外の仕事はしないので、体力が衰えてきている模様。
肩や腰が痛い。
鍬を持つ手は何とも不器用。

それでも一応、今年の夏野菜は植えてしまった。
後は支柱や追肥をするぐらい。
一安心だ。


桜の花も咲き始め、うららかな季候になってきました。
花が咲き新芽が萌える季節は、苦手な季節です。
何だかふわふわしてしまって、ボーッとなってしまいます。

今年の春は何だか、さらに調子が良くありません。
公というか、役目を果たさなければならない場面で体調が悪くなり、退散することが多いのです。
椿まつりの片付けのときも、八幡様の御神幸行列のときもしかり。
周囲に気配りをしてくださる方々がいて、助けてもらっています。

耳鳴りもあれば目眩もあり、何とも忙しいです。
クラクラするときもありフラフラするときもあります。
でもそれらの症状は軽い方。

やっかいなのはやはりアスカイヤー。
アスカイヤーというのは特に意味はありません。
体の自由が利かなくなり、喉を取られて叫ぶとき「アスカ、アスカ、アスカイヤー」という声が出ます。
だからアスカイヤー。

アスカイヤーのときは体を動かせなくなり、喋ることもできないので、何もできません。
軽い金縛りのような状態なので、初めて観る人には驚かれることが多いです。
でも、数十秒から数分すると、金縛りは解け、普通に戻ります。

声を出すことができないので、心配をかけます。
てんかんとは違います。
医師はその状態を「パニック」と呼んでいます。
とても疲れているときや、本当にゆっくりしているときが要注意。
アスカイヤーになると呼吸が乱れるので、とても苦しいです。

時間、場所、状況は関係ありません。
少々の前触れがあることもありますが、ほとんど突然に発生します。
だから、車の運転中が一番危険で、必死に応戦します。

私にとってアスカイヤーは戦いです。
自分を取り戻すために必死になります。
一度出ると、疲れているときはほとんど抵抗できません。
落ち着くまで待つしかありません。

待てば、いつの間にかアスカイヤーは去って行きます。
ケロッとして元に戻ります。
何とも不思議な症状です。
長い付き合いです。

平成14年の春から始まった症状なので、もう13年になります。
激烈な頃に比べれば、今の症状は可愛いものです。
振り返ると、よく発狂しなかったなと思います。

自分の意思ではない言葉が、自分の口から流暢に発せられる経験をした人は多くはないと思います。
憑きものがしていると言われ、お経もたくさん読みました。
除霊と言われる行為に頼った時期もありました。
今は、病院にお世話になっています。

どの方法が一番良いのか、良かったのか、まだ判別はできません。
職を失いましたが、医療と福祉に助けられて今があります。
社会に深く感謝しています。
私の体験や経験が将来、何がしか役に立つ場面があれば、一生懸命務めたいと思っています。


きょう3月22日は大江八幡宮の春季例大祭でした。
御神幸行列のお供をしましたが、途中で脱落してしまいました。
具合が悪くなるいつもの症状「アスカイヤー」が出てしまい、
宮司さんや賄いの人たちにも心配をかけてしまいました。

お宮まで母が迎えにきましたが、何とか自力で車の運転が出来たので運転をして帰宅しました。
ネクタイを外し、背広を脱いでくつろぐ服装でしばらく横になっていたら、
随分気分は良くなりました。
お宮の地区総代を引き受けて3年目の春。
祭の直来に参加できず、無念の春となりました。

今月は行事が色々続いていたので、疲れていたのかもしれません。
こんな症状アスカイヤーが起こるようになって13年。
激烈期に比べれば随分見かけは元気になり、行動半径も広くなってきました。
色々な事務作業も出来るようになり、回復してきていますが、治ってはいません。

完治は難しい。
病と上手くつきあって行かなければなりません。
でも、きょうのように人前でアスカイヤーが出て動けなくなり、
周囲に要らぬ心配をかけてしまうと、自信を無くしてしまいます。
平穏な日常がなるべく長く続いていけるようになればいいなぁと思います。
朝一番に農協へ行ってきた。
八幡様の祭の行列参加者の一日保険をかけるため。
手続きは無事終わり、帰宅した。

父は便秘をしていて、昨夜から尿が出ない状態になっていた。
ので、母も付き添って病院へ連れて行った。
診察はしてもらった。

尿も管で出してもらい大量に出た模様。
前立腺肥大が原因のようだ、
便は肛門近くまで来ているのですぐに出るはず、
浣腸を処方するが、
かかりつけの泌尿器科を受診するよう勧められた。
ので、その足で泌尿器科に行った。

診察はしてもらった。
尿が出ないのは便秘のせいだと言われた。
早く帰って浣腸をしてあげなさいと言うことだった。

そのとおり、家に帰ってからベッドで浣腸をした。
2本も入れた。
便は出た。
その後、尿も出た。
父も母もホッとした。

朝9時半に出発して、帰宅したのは夕方5時半過ぎだった。
3人とも疲れた。
病院のはしごは珍しくない。

でも、最初の病院で浣腸をして便を出してもらっていれば、わざわざ泌尿器科に行くことはなかったのに、と思う。
泌尿器科では、尿が詰まったりしたときはそちらの病院へ連れて行くように言われた。

だんだんと弱くなっていく老親。
病院との付き合いも多くなっていく。
どの病院も頼れる病院になって欲しい。

私も病院をはしごする二病息災の身。
なかなか肥満から脱出できないでいる。
肥満は別の問題でもあるが、・・・。
私は、今通っている病院の二人の医師を信頼している。
よく話を聞いてくれる。
症状にも気遣ってくれる。
説明が分かりやすい。
無理をさせない、等々良くしてもらっていると思う。
病に立ち向かう勇気を出さなければ。

このところ、糖尿病の方の数値、血糖値はほぼ安定している。

一方、統合失調症の方は症状が酷くなってきている。
今のところ他の人から指摘されたり、周囲を驚かせるような状態にはなっていないが、家の中ではかなり苦しい場面もある。
発症から18年、酷くなってから13年。
病との付き合いも長くなってきた。
完治は厳しいだろうと思うようにもなってきた。
奇異な症状だが、付き合っていくしかない。

第24回あったか天草椿まつりが、先週の日曜日、3月8日に開催されました。
当日は願ってもないような好天に恵まれ、たくさんの人出で賑わいました。
公式発表2500人の来客数とされています。

前日までは例年より少ない人出で、本当に明日はお客さんがいてくれるだろうかと心配をしておりました。
が、蓋を開けてみてビックリ。
後から後から人が入場します。

お陰でバザーは海賊鍋、バーベキュー、おにぎり、椿油ごはんとも完売。
出店者の中にも完売というところがいくつもありました。
良く売れました。

子供連れのお客さんも多く、大道芸の春ちゃんも張り切っていました。
観客が多いと、燃えるのだそうです。

会場は駐車場が狭いので、上の道路まで車が溢れていました。
ご不便をおかけしますが、なかなか駐車場の増設は難しいです。

スタッフは実行委員と市役所大江職員会の皆さん。
よく働いていただきました。
当日はほとんど役に立たない私。
感謝感謝、深謝です。

当日は天草パールラインマラソンなど各所でイベントが行われていました。
その中で、西平椿公園においでをいただきありがたく思っています。
来年も開催できるように頑張っていきたいと思います。

第24回あったか天草椿まつりが今度の日曜日、3月8日に開催されます。
事務局の私は、準備の最終調整をしています。
明日は買い出しに行きます。

昨年、西平椿公園のやぶ椿は例年になくたくさん花を付けました。
そして実を実らせるために相当のエネルギーを使ったのだと思います。
その反動か、今年は花芽が少なく、例年に比べると花は少しです。

それでも、展望所前や駐車場付近などに頑張って咲いている花があります。
今年の椿まつりは、椿の花が少ないかもしれませんが、西平椿公園の魅力はやぶ椿だけではありません。
天草灘の絶景、大ヶ瀬小ヶ瀬がお待ちしています。

教えていただいた話しですが、天草下島の羊角湾の羊角とは、文字通り羊の角で、羊の角がある湾と呼ばれていました。
この羊の角とは、大ヶ瀬小ヶ瀬を指しています。
その昔、天草灘を航行する船の緊急避難港は崎津だったそうです。
湾奥にある崎津の港は水深が深く、大型の船も停泊ができる港でした。
大時化のとき、羊の角がある湾の中に逃げ込めば助かる。
そのために、羊角湾と呼ばれ、大ヶ瀬小ヶ瀬は難破船を出さないための目印だったそうです。

さて、椿まつりの日の天気予報は晴れのようです。
当日は、善者様が作ったと言われる大草履を作ります。
体験参加もできます。

また、今年は椿油ごはんや、椿油を使った揚げ物も販売されます。
例年好評の、海賊鍋やバーベキューもあります。
気温も「あったか」になりそうな日曜日です。

今年は天草椿油を原料にした整髪料などの販売も行われます。
干物、まんじゅう、お菓子なども販売します。
ぜひ、たくさんの方々にご来場いただきたき、くつろいで過ごしていただきたいと思っています。

先月下旬から調査区域の集落を回って、農林業センサスの調査を行いました。
離農するというか、高齢などのため農業を辞めざるを得ない実態が浮かび上がります。
この調査が、この故郷の集落のために役立てられることを願います。
経営体の調査票の点検も終わったので、明日支所に持って行こうと思っています。

並行して準備に追われているのは椿まつりです。
第24回あったか天草椿まつりは3月8日に開催されます。
ポスターも校正に入りました。
未確定要素もあるため、5日に最終校正、印刷へと進みます。

チラシも作ります。
今年は新聞折込をしたいと思っています。
区域は本渡を中心に天草市内を予定しています。
三つのあったか(暖か、温か、有ったか)でお待ちしています。

今年は例年とは趣向を変えて、「おもてなし」と「食」をテーマにしています。
おもてなしでは、先着200名にストラップを進呈。
また、椿公園がある西平地区で伝承されている「善者様」の言い伝えの中に登場する大きな草履を作り、海から見える場所に下げておきます。
草履づくりは誰でも参加、体験ができます。

食では、例年好評の海賊鍋やバーベキューに加えて、
「椿油ごはん」と、椿油を配合した油で揚げる「がねあげ」「すりみ」を販売します。
数に限りが有りますので売り切れ御免でお願いします。

また、椿油や油粕などの販売のほか、天草椿油を使った入浴剤や、ヘアトニック、クリーム、アロマオイルなども販売する予定です。
このほか、干物や創作菓子、子守唄まんじゅうなども販売されます。
当日は春のうららかな日になることを願い、早春の天草の一日を過ごしていただければと思っています。



調査期日は2月1日。
農林業センサスの農林業経営体調査がはじまった。
私も調査員の一人として調査区内を回っている。

確か5年前も同じ区域を回ったような気がする。
調査員説明会のときに諸道具を渡された。
経営体の名簿ももらった。

その中の1割以上は死亡または転出、長期不在の人たちだった。
若い頃、30年ほど前も調査員をした記憶がある。
その頃と、状況はガラリと変わった。

30年前は今の80代の人たちは50代。
元気もやる気も馬力もあった。
そのまま、年数を経て今、もはや農家ではなくなった世帯が多い。

前回は1畝(1アール)以上あった野菜畑も、今回は全く畑は作っていないと言うところが多い。
しかもその人たちの多くは、ご主人に先立たれた女性たちだ。
前回は家に隣接する床畑に大根の30本も見かけられたが、今回はそこが原野になっている。

何と言うか、やるせない。
私の住む集落では、集落内で畑を3反以上作っている人はいない。
もう、農業集落とは言えないのではないかと思う。

5年後はまだしも10年後は、どれだけの住民が集落に残っているのか。
センサスの調査先のある家で聞いた。
「92歳になる。私は長く生きすぎた」と。

私が「そうおっしゃらずに長生きしてください」と言うと、
「これ以上長生きしても何も変わらない」と言われた。
正直、私は何も返す言葉が見つからなかった。

「限界集落」。
頻繁にメディアから流れ出てくる言葉。
政治家の口からもしかり。

その言葉はテレビの中から流れてくるが、
ひたひたと私の住むところへと近付いてくる。
人間の活動領域の後退が進むだけだ。
昨日からずるずると寝正月になってしまった。
体重がついに110キロを超えてしまった。
反省。

明日は少し体を動かすつもり。
去年の秋、ブログも引っ越した。
体重記録日記のタイトルはそのまま使っている。

他にタイトルの付けようがない。
毎朝体重を量ってブログに書き綴っていく。
それだけの作業。

ぐうたらなので仕方ない。
ダイエットと銘打つには努力が乏しい。
一応、痩せたいとは思っているが、相応しい反応をしていない。

一時期、98キロぐらいになった。
その夏はすぐに終わり、やがて秋タバコをやめた。
すると体重が増えだした。

そしてまた、恐れていた110オーバーになってしまった。
MAXは115なので、そこまでは届かない。
が、体がきつい、重い。

からだを動かすのがしんどい。
久々の110超え。
こんなに重かったのかと思うほど重い。

食欲はある。
胃袋は健在。
お通じもある。

食べすぎと運動不足。
食事をバランスよく適度に食べる。
運動をして汗を流す。

言うは易し、行うは難し。
それが出来る人はデブにはならない。
私はもう110キロデブになった。

ぞろ目で111を狙っても良いが、出来れば避けたい。
こんな繰り言独り言を、簡素なモニタに向かって打ち続ける。
今年の初め、2日続けて庭にも降りず、ネットゲームをしている。

気が向けば、それこそ「ココロにうつりゆくよしなしごと」をそこはかとなくかきつければいとあやし。
と言う気分になる。
テレビと正対している時間は少ない。

私の相棒はパソコン。
もう、6年が過ぎた。
当時、ソコソコのスペックだったのだが、今となっては遺物。
そろそろ買い換えが必要だろう。

この黒い長方体には様々な機能がある。
私は専らエクセル、一太郎、ワードなどのソフトと、画像の管理などに使っている。
もちろん、メールやインターネットにも使っている。

でも、機能の1%ぐらい使っているだろうか?
なかなか使いこなせないまま、いたずらに時間だけが過ぎた。
使いこなせては居ないけど、型式は古くなる。

もっと新しく、もっと便利なものが増えてきている。
進取の気質は大事にしたい。
でも、基本はアナログだ。
だって、人間だもの。

これからまた、性懲りもなく飯を食う。
小食に努めたい。

きょうは午前、水源の川掃除をした。
叔父がユンボで被せられていたトタンや柱を取り除いた。
水口の槽の水を汲み上げた。
そして、泥を掬い出した。
作業は5人で、1時間ほどで終わった。

作業のあと、早足で買い物に行ってきた。
迎春準備の品を求めてきた。

午後、タマネギの手入れをした。
鋏み肥え。
畝間に堆肥と肥料を撒き、土を寄せ被せる。

堆肥やりは結構くたびれた。
自重が重いので堆肥を持ち運びが結構辛い。
畑は緩い傾斜なので、下から上へ行くときが辛い。

何とか、父がデイサービスから戻ってくる前に作業を終えた。
チョコボール40箱が届いた。
歳暮の品がまだ届かない。

きょうは久しぶりに鍬を使った。
母のスピードについていけない。
情けない。

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