今日、履歴書を送ってきました。
面接していただけるかは分かりませんが、一歩踏み出しました。
昨日から履歴書を書いていて、自分には何の経験もないことが判明しました。

資格なし、特技なし、職歴は偏っているし、中身が乏しいです。
長い長いブランクもあるし、それでも何とか記憶を呼び覚まして書き連ねました。
が、通用するかどうかは分かりません。

今日は朝からハローワークに行って、紹介状を作ってもらいました。
初めての経験です。
求人への応募をするのも初めてだし、面接まで行けば実に37年ぶりのことです。

離職して15年、何もせずに過ごしてきました。
自死を考えた時期もあったし、引きこもっていた時期もありました。
お金を浪費して借金も作りました。

色んなことがあったけど、今、こうして生きていることに感謝。
そして、生活を支えてくれる社会保障制度に感謝です。
その恩を返せるかは分かりませんが、生きると言うことを大切にしたいと思っています。

統合失調症、糖尿病、膝関節骨壊死症の三病を持っています。
齢アラ還、それでも前へ進む、進みたいです。

今日は法事でした。
父の百箇日。
昨日から妹と弟が帰省していて、
家の内外や墓所の掃除や片付けをしてくれました。

納骨堂も移転して、父の納骨も行いました。
和尚さんが午前10時に来てくれて納骨、納骨堂の魂入れ、
百箇日のお経を上げてくれました。
親族、近親者十数人にお参りをして頂きました。

ハプニングあり。
案内したのに、来てくれない。
来てくれないなと思っていたら、上手く伝わっていなかったことが判明。
取り急ぎ時間もなかったので、一連の行事が終わってから 
自宅を訪ね、事訳を言ってきました。

今日はお昼に弁当を頼んでいて、
お経のあと、昼食を食べてもらいました。
11時半に始まって2時半過ぎまで、
延々3時間も話が弾みました。

メンバーはいつもの親戚一同。
いろんな話題が出ましたが、
多生温度差を感じた部分もありました。
「代変われば世変わる」。
父がよく言っていた言葉です。

父母の代は兄弟姉妹。
私たちの代は従兄弟、従姉妹です。
それぞれに夫、妻あり。
淋しいですが、少しずつ疎縁になっていきます。
でも、そうなることで新しい縁ができていきます。

様々な話しの中で、親に似てくるねと言う話題。
齢60を超えたいとこたちが、それぞれの親に風貌が似てきたと言うものです。
なるほどそうだなと感じながら、一方で、
話し方や話題、話しの落ちまでも「似ている」と感じた人もありました。
性格まで似てくるような感じです。

私は話し上手ではありません。
最近になって感じるのは、弟のしゃべり方と
自分のしゃべり方が似ているなと思うこと。
話題の振り方や、クライマックスの作り方がよく似ていて
父の話し方に似ていることを感じます。

私も齢55を超えているので、やがて老いも忍び寄ることでしょう。
おぼろげに憶えている父の五十路の姿を思い出すと、
ああ、自分もあんな感じなのかと思うこともあります。
でも、父は強かった。
気力も体力も、今の私よりはるかに強かったと思っています。

もう一花咲かせられる可能性は低いけど、
生きるからには希望を持って生きたいと思っています。
何か新しいこと、新しいもの、新しい人との出会いがあることを望みます。
人生何かを始めるのに遅いと言うことはない、と思うのです。
父を無事旅立たせたので、明日から新たな気持ちで頑張ろうと思います。
今日、とある求人票に興味を持ったので、
よく調べて、できれば面接に行きたいと思っている。

履歴書を書くのはほぼ初めての経験。
書類審査で落とされるかもしれないが、まずはトライ。
新たな気持ちで頑張ってみようかなと思っている。

ダメ元で、面接の練習だと思えば良い。
果たしてこの判断は吉か凶か。
乞うご期待。

今日は彼岸の中日。
彼岸の地へ通じる日とされている。
彼岸参り。
我が家の檀那寺でも先般、彼岸の入りの二十日に法要が営まれた。
説教はあまり良くなかったと母がこぼしていた。

彼岸。
秋の彼岸には彼岸花が咲く。
赤い曼珠沙華が道沿いや田畑の土手に咲いている。
我が家には、黄色い花と白っぽい色の花も咲いている。
黄色の花はもう55年以上、毎年咲いているそうだ。
母が嫁して来たときからあるという。

今、我が家は納骨待ちをしている。
次週の日曜日、10月1日に父の百箇日の法事を行う。
その際、納骨もする予定だ。
父がいないという状況に、少しずつ慣れてきた
が、寂しい。

親を亡くしたのは初めての経験だから、
こんなものなのかと自問する時期もあった。
今は随分落ち着いた。
父は彼岸に向かって行ってくれていると思う。
私は此岸から祈るのみ。
いずれ、行けるものなら彼岸へ行きたい。
夜、雷でテレビがやられました。
先月も雷に打たれて修理をしてもらい、
修理代も払わないうちに、またやられました。

先月は、火花が飛びました。
今夜はテレビの後ろからパーンと言う甲高い音が聞こえ、
画面がプチッと消えました。
8時20分頃だったと思います。

鶴瓶の家族に乾杯という番組を観ていました。
雷は突然でした。
稲光もなく、パーンと言う音があってから、
遅れてドーンという音が聞こえました。

早速、明日修理代を集金に来る予定になっていた、
メーカーのサービスマンさんに電話を入れ、
また雷でやられた旨を伝えました。

先月と同じく、代打のテレビを持ってきて、
我が家のテレビを修理のため持って行ってくれると思います。
このサービスマンさんには、何回も家に来て頂いています。

このメーカーのテレビを買ったのは、およそ5年前だったと思います。
4年目で液晶画面の上の方に筋が入るようになり、
保証の期限内だったので修理をお願いしたところ、修理不能なので
後継機に交換するとのことで、新しいテレビがやってきたのが昨年5月でした。

前のテレビをパソコンのモニタのひとつとして使っていたのですが、
後継機はそれができずに、何度か診てもらいました。
パソコンとの相性が悪いのか、
HDMIでつないでも信号を受信できませんの表示のみ。

パソコンとテレビをつなげたいので、何とかやってみようと思っています。
それはそれで進めれば良いのですが、
肝心のテレビが故障続きではどうにもなりません。

先月やられたときはテレビのコンセントは抜いていました。
テレビアンテナの線、地上デジタルとBSの2本と
ルータとつないでいたLANケーブルしか線はつながっていませんでした。

今夜はそれに電源ケーブルがあったのですが、
アンテナ線の結合部が熱くなっていたので、多分そこから
雷が進入したのだと思います。

先月はモデムもやられていたのですが、
今夜、雷騒動の直後に多少の戸惑いはあったものの、
インターネット、電話とも普通に使えています。

テレビのない家の中は静まりかえっています。
今は、扇風機の音と、キーボードを叩く音が行き来しています。
外は雨なので、いつもより虫の音が小さく聞こえます。

ああ、歯がゆいです。
でも、修理してもらわなければどうにもできません。
そして今度は、電気屋さん?電線屋さん?にお願いして、
アンテナ線を点検してもらおうと考えています。

雷の落ちやすいところに線を張っていないか、
BSのアンテナの位置は大丈夫か、
共同アンテナからの引き込み線は大丈夫か。

不安もあるし経費もかかると思いますが、
調べてもらおうと思います。
2ヶ月連続の雷とテレビの騒動、
何とか治まってくれることを願います。

今日は朝早く、午前6時前に起きて母と作業をしました。
何の作業かというと、畑から流れ出て里道に積もっている土を
土のう袋に詰めて土を運ぶ作業です。

前の畑の下の道に、もう何年も手をつけていない積もった土があります。
道幅を狭めていて、歩くのも一苦労でした。
一方、我が家の庭先は埋め立てをしてもらっていて、
主に山砂を埋めてもらっています。

山砂は埋め立て土としては良いのですが、
庭先に花を植えたい母にとっては厄介な土です。
そこで、道に積もった土を運んできて、花壇の土にしようという目論見です。

母が土をほぐして土のう袋に詰めて、私がそれを軽トラまで運ぶと言う分担作業。
二人で作業をしていたら、稲荷様の掃除から戻ってきた
前の家の親戚のおじさん夫婦が加勢に来てくれました。
おじさん夫婦は段取りよく、仕事がはかどります。

母と私は、有り難く加勢をしてもらいました。
なんと8時40分頃まで作業をしてもらいました。
畑の下の道はきれいに広くなりました。

土のう袋に詰めた土は軽トラで運び、庭先にいっくりかえしました。
土のう袋を100枚買ってきておいて良かったです。
最初50袋いっくりかえして、また100枚全部使って土を入れました。

そして、朝飯も食べさせずに作業をしてもらいました。
最後には、おじさん夫婦の息子も来てくれて加勢してくれました。
最後の30袋はグミの木の近くにやるということで、
軽トラに積んだままにして、今日は9時から避難訓練があったので参加しました。

母と二人で作業をしていても3分の1もできなかったと思います。
別の叔父が午後、柿の木の接ぎ木をしに来てくれました。
叔父はその足で、レーキを使って、いっくりかえした土を均してくれました。

また、従兄が母の見舞いに来てくれてました。
そして、従兄がグミの木の近くにやる土を軽トラから降ろしてくれました。
母と夕刻にやろうとしていた作業ですが、従兄が手際よくやってくれました。

今日は、ほぼ母の目論見どおりに仕事がさばけました。
たくさんの加勢人に感謝、感謝です。
私も1年半ぶりに、外に出て作業をしました。
今日はそれなりに疲れました。

左膝の痛みが少しずつ治まってきたのは今年5月頃から。
以来4ヶ月近く、やっと松葉杖なしでも外を歩くことができるようになりました。
少しですが、今日、作業もできました。
このまま痛みが治まってくれると良いなと思っています。
今日から長月。
日差しが強いながらも
爽やかな涼風が吹いた日だった。

夕刻帰宅してみると、
母は家中の窓を開け、網戸にして
家の中に爽風を招き入れていた。

今日はエアコンを使っていない。
三ヶ月ぶりぐらいだと思う。
今日はそんなにも涼やかな日だった。

虫の音が一段と高くなってきている。
コオロギと鈴虫が多い。
今年も秋風が吹いてきた。

夜明けも遅くなり、日暮れは早くなってきた。
秋は空気が澄み、雲の形状も良いことから、
夕日や夕焼けの写真を撮るのに絶好の季節だ。

眼下に広がる天草灘、沖に浮かぶのは奇岩大ヶ瀬。
その遙か向こうの水平線に沈む夕日の絶景を
パチリと写してみたいのは私だけではないだろう。

以前は時季になると、沢山のカメラマンが
三脚を並べて、夕景を切り取っていた。
今でも彼岸の頃には何人かが訪れる。

思い思いの場所に陣取り、構図をかまえ、
日が落ちてゆく時間に気もそぞろ。
この秋もまた愛好家は訪れるだろうか。

子供の頃から水平線に落ちる夕日を目の当たりにしてきた。
慣れ親しんだ風景だが、
年に数回は息もつかずに見惚れる夕景がある。

そんなときは、カメラのシャッターを切ることさえ忘れ、
目ん玉カメラで脳裏に写して瞬きシャッターを切る。
我に返れば、大空が夕焼け色のカンバスだ。

         BY 詩人のひろじい

一昨日ぐらいから右側の臀部が痛い。
母によると、運動不足と言うことだった。
ので、ウオーキングマシンで少しずつ歩いている。

考えてみれば、昨年2月の手術以来、
ほとんどまともに歩いていない。
元々あまり身体を動かしていなかったが、
椅子とベッドの生活になり、
松葉杖で歩いていたので、
長距離を歩くことはとても少なくなった。

痛いので、どうにかしなければいけない。
リハビリをしたいと思っている。
頑張ろ。
と、言われた母。
電気ショック治療を受けて、
不整脈はとりあえず止まりました。

血液サラサラの薬を処方されました。
これから飲み続けなければなりません。
新たな不安との闘いが始まります。
やりきれない思いです。
人間、物事が思い通りに進まないと、
気を病むようです。

進め方について、ちょっと混乱しています。
誰にどうお願いしたら良いのか、
迷い、惑っています。

ああ、スッキリしない。
こっちはお願いする立場だから、
気を遣います。

こんな時、あいつが居ればと思ってしまいます。
でも、賽は投げているし、後引きはできません。
前へ進む。

困難や辛いことがあっても、前に進む。
強く生きなければと思います。
負けるわけにはいかない。

吐露します。
どこで順序を間違えたのか、
今となっては戻れません。

前へ進む。
悔いても甲斐なし。
前へ進む。


まだまだ暑い日が続いています。
残暑厳しいです。
でも、週末からはカラッとした暑さになるようです。

暑さのピークは越えた模様。
少しは涼しくなってもらわねば・・・。
雨ももう少し欲しいです。

この夏、断熱材を天井裏に張ってもらい、
エアコンの効きがとても良くなりました。
こんなに快適なら、もっと早いうちに
していれば良かったと、後悔しています。
何年間も暑い居間で過ごしていました。
今年は快適でした。

朝日の昇る時間が遅くなってきました。
夕日も早く落ちるようになりました。
虫の音も日に日に大きくなってきました。
秋は近付いています。

この夏は、父が逝った夏になりました。
四十九日までの七日参りなどの行事に追われた夏でした。
母は相変わらず今年もスイカや瓜を育て、
収穫するために朝早くから畑へ出ていました。
オクラ、ナスビ、キュウリ、トマトなども豊作でした。

私は膝痛のため、畑に出ることはなく、
ほとんど家の中で過ごしました。
リハビリの成果は出ていて、
だんだん足の痛みは小さくなってきています。

やっと、松葉杖なしで歩いていけるようになりました。
コンビニで買い物をするとき、杖なしでOKです。
長い距離は杖を持って行きますが、
短い距離なら大丈夫です。

でも、左足をかばうのか、今日は右足が痛くなってきて
長距離はまだ歩けません。
今年の夏もやがて行きます。

去年に比べると、足の痛さがなくなった分、
部屋が涼しくなった分、快適な夏になりました。
問題は体重で、今朝は100キロ丁度でした。
頑張って減らしたいと思っています。

今年の盆も過ぎていきました。
六月末、父が逝きました。
四十九日は8月14日でした。

今年は初盆はせず、来年、
初盆の行事と精霊船を流す予定です。
でも、多くの人が盆参りに来てくれました。

また、弟が6日間家にいてくれて、
畑仕事から家の中の片付け、
行事の墓参りなどを務めてくれました。

弟の帰省は、とても有り難かったです。
また、弟家族、妹家族も
それぞれ一泊ずつでしたが、帰省してくれました。

自分のふがいなさと、あきらめと、
いろいろ感じた盆となりました。
でも、盆の間、松葉杖なしで過ごしました。

普通に歩くことに、ちょっとだけ自信がつきました。
短い距離なら杖なしで用事ができるようになりました。
たとえば庭に出ての見送り。

たとえばコンビニでの買い物。
今まで、短い距離でも杖を使って歩いていましたが、
盆の間は家に居て、杖なしで過ごしました。

果たしてどれくらい歩いて良いものか、
どれくらい歩けるのか、調子を見ながら
少しずつ歩く練習をしたいと思っています。

左膝関節骨壊死症という名前の病気。
ネットで調べてみたら、
膝関節を手術したあとになりやすい病気なのだそうです。

昨年2月、手術をしたのが原因でしょう。
膝の骨が元に戻ってほしいけど、
折れ、溶けているものを復元することができません。

やってみて後悔することも多い人生でしたが、
まさか手術をしてなお悪くなるとは思ってもみませんでした。
手術前にそんなリスクがあることは、何も教えてもらえませんでした。

膝の手術をされる予定の方は、くれぐれもご用心を。
そしてどうか慎重になって下さい。
もし手術をしてなければ、痛いけど、
壊死することはなかったと思っています。

後悔先に立たず。
骨壊死復元せず。
一生膝痛暮らしかな。
無念。

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