今年も早いもので、もう半年が過ぎました。
半年の間に色々ありました。
2月に左膝の手術をして以来、松葉杖生活が続いています。
歩行すら満足にできない状態で、畑仕事などは全くできません。

5月の半ばから、就職しました。
と言っても、研修生です。
まともに仕事ができるわけではないし、仕事に必要になることを教えてもらっています。
ワード、エクセル、文書作成、ビジネスマナー、実技の訓練です。
ワードやエクセルは独学で覚えた使い方しかできなかったので、キチンと指導してもらえるのは有り難いです。

6月中旬、父が特別養護老人ホームに入所しました。
父を介護していた母も、最近は疲れた様子でした。
私も2月からは松葉杖なので、介護の補助がほとんどできない状態でした。
渡りに船。
父には申し訳ないけど、家族での介護は限界に近付いていました。

私は来週には54歳になってしまいます。
喪われた15年を取り戻すことはできませんが、新しい道を模索することはできます。
就職は新たなチャンスを与えてくれるのではないかと思います。
与えられた環境の中で、自分を鼓舞できるよう頑張ります。

でも大きな問題があります。
左膝の具合です。
医師から体重を90キロ以下に落としてから手術をすると言われていて、
今、必死に減量に取り組んでいます。

110キロ近くあった体重は4ヶ月で98キロ台まで減らすことができました。
あと8キロ以上、落とさなければなりません。
今年後半は、減量との闘いです。
頑張りますので、ご声援をお願いします。



今日は法事でした。
去年の夏に亡くなった伯母の一周忌、今年の春に亡くなった伯父の百箇日の法要でした。
夫婦二人は今夏、そろって初盆を迎えます。

昨年の今頃はまだ、伯母は闘病中でした。
伯父はピンピンしていました。
まさか1年も経たないうちに、二人とも逝ってしまうとは思っていませんでした。
寂しいです。

でも今は、二人そろって彼岸の地から此岸を観ていることと思います。
伯父は、何かしらの使いをすると、お礼の言葉の最後に、「サンキューサンキュー」と言うのが口癖でした。
か細い身体で粗食に耐え、齢90を過ぎ、伯母が逝ったあとも一人で暮らしていました。
我が家は父の代から、伯父にはとてもお世話になっていました。

「ほら、ひろじい、わがぁおとこじゃっでーね。〇〇ぶら下げとっでぇ、頑張らんばね!」
生前、よく伯母から、こんな言葉で叱咤激励をされたことを思い出します。
気持ちがへこたれそうなとき、伯母から言われたこのフレーズを思い出して、
自分を鼓舞し発散して、やる気を引き起こすようにしています。

亡くなったあとは、葬儀から三日、七日参り、四十九日、百箇日、初盆へと時を刻みながら、偲んで行きます。
色々と過ぎていく行事の中で、人は少しずつ別れを悟り、糧としてやがて少しずつ久遠の時を目指していくのだと思います。
二人とも、まだ一度も私の夢の中には現れてくれません。
私の修行が足りないのか、伯父伯母がまだまだ待て待てと思っているのか分かりませんが、夢の中で言葉を交わすことができたら、うれしい限りです。
「伯父さん、伯母さん、まっとるばなぁ」と、ここに記しておきます。

父の特別養護老人ホームへの入所が決まりました。
明日からです。
悔しいけれどホッとしています。

父は16年前の冬、68歳のとき脳梗塞で倒れ、右上下肢麻痺、失語症となりました。
6年間、天草慈恵病院にお世話になっていました。
10年前の4月、家を改造して在宅介護をすることになりました。

デイサービスやショートステイなど、介護サービスを利用させてもらい、
何度かの入院や母や私の入院などもありましたが、
10年間、母はよく父の介護をしてくれたと思っています。

2年ほど前に入所のお話がありましたが、
そのときはもう少し家でみたいという母の意向もあり、
逡巡しました。

今回、母は父を入所させることをためらいませんでした。
私の力不足もあります。
私は昨年秋に左膝を痛め、今年2月に手術をしましたが
術後の経過は思わしくなく、松葉杖生活が続いています。

自分のことをするだけで精一杯。
食事と排泄と入浴、他は何もできません。
畑仕事も母が夏野菜やカライモを植えていますが、
私は畑に足を踏み入れることさえできません。
情けない限りです。

今回、思いの外早く父の入所が決まりました。
施設にあずけるのは、自宅で過ごしたいという父の願いを
叶えることができなくなったと言うことです。
家で暮らしたいのに暮らせない。
辛いです。

でも、母も限界、私も何もできず、止むなしの判断をしました。
父には少しでも長生きをして欲しいと思っています。
時々、外出や外泊で家にも連れて来たいと思っています。
そのためにも、私は一日も早く健康体に戻らなければなりません。
父への思いを新たにして、頑張りたいと思います。
今日は朝からクリーン作戦がありました。
私は膝痛のため作業ができません。
母が代わりに作業に出ました

10時過ぎには終わり、母も帰ってきました。
テレビ組合の決算報告も終わりました。
ちょっと安堵しました。

次回は9月、頑張れるかなぁ・・・。


今日は糖尿病の通院日でした。
体重は病院の体重で100キロ丁度。
先月よりおよそ3キロの減でした。

ヘモグロビンA1cも5.7%で良好でした。
前回は5.9%だったので少し改善しました。
前回から正常値の範囲内です。

好調の要因は体重の減少です。
整形外科の医師から減量を指示されているので、
食事に気を付けています。

家の体重計では98キロ台になりました。
朝一番の最軽量時に量るので、一番小さい数字になります。
減量の当面の目標は90キロを下回ること。

まだ時間もかかるし、もっと食事や睡眠管理を
厳格にしなければならないと思っています。
膝が痛いので、運動はできません。

プールにも数回行きましたが、勤めが始まったので
なかなか行けずにいます。
プールは効果はあると思うのですが、
どうしても欲張ってしまうので、疲労が大きくなってしまいます。

インスリンの単位数も少し低い数字を指示されました。
インスリンの摂取量が減ると、体重も減ってきます。
欲張らずにマイペースで進んで行こうと思っています。
今日は午後、歯医者さんに行ってきました。
左下奥歯の虫歯の治療のためです。
膝痛などにより、なかなか歯医者に行けず、
予約をしては行けない期間がありました。

麻酔をして、治療は順調に進み、修理は無事終わりました。
次回は歯の定期掃除をしてもらいます。
今月中頃の予定です。

さて、今日から6月。
早いもので、間もなく梅雨入りも近づいているようです。

体重は減少傾向で進んでおり、
もっと減らすために何を減らせば良いのか模索中です。

食べないことが一番わかりやすいのですが、
食べながら減らすことを目指しています。


請う、応援メッセージ!


よろしくです。
きょうは就職3日目の朝です。
出勤3日目の朝、と言った方がより正確かも。

今、勉強中です。
職業人としての基礎的なこと、マナー、自己啓発など。

そしてワードやエクセルの使い方。
今までパソコンは我流で使ってきたので、
教えてもらえるのはとても有り難いです。

しっかり成果につなげられるように頑張りたいと思います。

今週からプールに通い始めました。
と言っても、まだ2回だけ。
天草慈恵病院のプールに行っています。

まずは水に慣れること。
歩くことだけ試しています。
途中休憩を挟みながら、小一時間歩いています。

水から上がるときの自分の重さにビックリ。
普段こんなに重いものを支えているのかと思うと、
両足の膝や足首に感謝です。
何とか手術を回避できないものかと思っています。

でも、骨が良くなってくれるのか分かりません。
左膝は少し腫れていますが、以前ほどではありません。
水が溜まるのを止めることができれば良いのですが。

減量の方はなかなか成果を上げることができません。
今、100キロちょっとです。
ここ数日中に2桁にするのが当面の目標です。

102キロ付近で随分足踏みをしてしまいました。
ここからはさらに厳しくなっていくものと思います。
心してかからなければなりません。

応援メッセージ、お待ちしています。

一昨日の午前、弟から電話があった。

申し込んでいた職員住宅に入居できるようになったとのこと。

ひとまず安堵。

同居している3人の子供たちは、長男のいる福岡に一時的に避難しているとのこと。

少し落ち着きを取り戻したようだ。

住める場所が決まって、車中泊から解放される。

それだけでも有り難い。



妹も車中泊から解放された模様。

でも、まだ水が出ないので、炊事洗濯トイレが大変なようだ。


こんなときに凡夫は膝痛を抱えて松葉杖生活。

何とも情けない。

膝痛がなかなか治りません。
金曜日に病院へ行って診察を受けました。
レントゲンでは特に変化はなく、左膝の陥没部分もありました。
やはり左膝は手術をしなければならないと言われました。

問題は体重の減量です。
80キロを目標にとのことで、まだまだはるかに遠い数字です。
今朝の測定では102キロ。
10キロほど減りましたが、まだまだです。
ここからの絞るのが大変です。

管理栄養士の指示は1800キロカロリーです。
それに近いレベルで食事には注意しているつもりです。
おかげで、血糖値の管理がとても上手くいっています。
低血糖にならないように気を付けています。

少しの距離でも松葉杖は外せません。
不便ですが仕方ありません。
昨日、少し無理をしてしまいました。

技術が進んで世の中は進歩していますが、なかなかついていくことができません。
独り合点で奮闘していますが、思い通りには進めません。


膝痛が治らないことには何もできません。
弟妹も心配なのですが、まずは自分の身体を良くすることです。
情けない。
14日夜の地震は前震、16日未明の地震が本震だという「熊本地震」。
余震は続いている。
弟妹とも、家族で車の中で夜を過ごしているようだ。

電話で声を聞いた限りでは元気。
まだ緊張し、気を張っているのだと思う。

心はるか熊本の空に飛んでいって、安眠できるベッドを差し出し、温かい食事を渡せすことができればと思う。
その実態は、松葉杖をついて自分のことさえ満足に出来ない情けない兄だ。
早く余震が終息して欲しいと思う。

避難生活も4日目を迎える。
家が倒壊した弟家族の仮設住宅を、どうやって確保できるか知恵を出したい。
妹家族は公営住宅の5階。
揺れが大きくて家の中はめちゃくちゃになっているというが、余震が落ち着けば元に戻れる。

無事に平穏な日常が訪れること願うのみだ。

一句

「弟妹の非常事態に嗚呼我は何も出来ない不甲斐ない兄」

昨夜、熊本地方で大きな地震があった。
震度7の益城町には弟家族が住んでいる。
震度6弱の熊本市東区には妹家族が住んでいる。

弟の家は壁が全部崩壊したとのこと。
家族5人、屋外で一夜を明かしたという。

妹は県営住宅の5階に住んでいる。
揺れが酷くて家の中はめちゃくちゃ。
家族5人、車中で過ごしたという。

飛んでいきたいが、今は自分が動くことさえままならない。
悔しい。
無力だ。


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