7時半頃から出掛けた。
メルカリ便をポストに投函するため。
往路、隣の集落の散歩人に会った。
隣の集落も雪が積もったという。
寒かったそうだ。
なるほど、屋根から落ちた雪がまだたくさん残っていた。
ポストまで行って投函。
すぐに戻った。
途中の道路に散らばっていた木の枝を何本か動かして、道路の下に落とした。
まあ、片付けたら通りやすくなった。
風でキリキリと巻き付いていた椿まつりののぼり旗も1本開放してやった。
そよ風になびく姿は気持ちいい。
エンマエの畑に寄った。
青梗菜にコッパ網を掛けて鳥避けをしていたつもりだったが、網目から届くところはいっつくしゅうヒヨドリにくじられていた。
旨いところは全部なくなっていた。
残念。
お残りをいただこう。
水前寺菜に被せていたビニールははがれてしまって、雪害にやられていた。
葉っぱは雪焼けして焦がれてしまっていた。
これも残念。
数日後は温かくなりそうだから、キチンと剪定をしてしまおうと思う。
ガンバロ。
家に戻ったがまだ空気が冷たい。
外の作業は今日までしないことにした。
仕方ない。
暖かくなってからやろうと思う。
母が起きていた。
よもぎ団子を作る準備をしていた。
今日は昔の職場の同窓会に行くのだ。
手土産に作って持っていくらしい。
母たちの同窓会は同じ職場を早期退職した仲良しグループ。
母がどうやら最年長で、今日集まるのは4人だそうだ。
団子と野菜を持って、10時過ぎに軽トラで出掛けていった。
私はパソコンとにらめっこ。
用事もいくつかあったので、あちこちに電話を掛けた。
午前中であくばったが、午後も続けた。
昼飯は飯と味噌汁と干物だった。
旨かった。
2時過ぎに用があって弟の嫁さんに今日2回目の電話をした。
1回目のときはお出掛けの最中だったようだが、今度は家に戻っていたようだった。
まあ、色々話しをした。
先日亡くなったお父さんのことやご兄弟のこと、弟のことなど。
そして断捨離や本の話しにも及び、話が弾んだ。
電話を終えてみると、59分何十秒かになっていた。
彼女は本好きなので、そこら辺では共通の話題も多い。
でも私はもう25年以上、ほとんど本を読んでいない。
精神科の病を得て、自己管理ができなくなってから、本を読む集中力と、読み解く読解力が落ちてしまった。
従って、私の読書をしていた時間は30代半ばまで。
知識も蔵書も、それ以降は何のストックもない。
蔵書は1500冊ほどあったが、大半は段ボール箱に仕舞い込んで小屋の中に放置している。
いつか読み返すことがあるかもしれないと思い、引っ越したときにまとめて貯蔵していた。
でも、もう、処分しようと思っている。
読み返すことは、多分、ない。
甥姪が読むかもしれないと母に解かれ、置いたままにしていたが、彼らも立派な社会人となってしまったので、伯父の蔵書を当てにすることはないだろう。
BOOKOFFに一部引き取ってもらったが二束三文だった。
高価だった古書も価値なしと判断され、換金価値はなかった。
今は電子書籍が主流になり、紙の書籍は価値なしと判断されても仕方ないかも。
でも、本の装丁の重厚さや軽薄さ、紙質や手触り、ページをめくるときの感触は、本好きにはたまらないときめきだ。
市の図書館でも書籍の寄付を受けてはくれない。
整理するのに人件費がかかるからだろう。
書籍は溢れている。
寄贈したい人はたくさんいるだろう。
いちいち引き受けていては、図書館のキャパが保たないのだろう。
仕方ないが、何とも悲しい世の中になったものだ。
私自身も、好きな本は買うて読む派だったので、本は大事にしておきたくて今日まで取って置いた。
その私が、本を処分する、捨てる、という選択をすることになるとは、思ってもみなかった。
私が買うて読む派になったのは、幼い頃、本が読みたくても我が家には本がなかったのだ。
だから、家の中に本を置いておきたかった。
小中学校のときは図書室から借りて読んでいた。
3冊ぐらい借りてきていた。
家までの帰り道は1時間近くかかる道程だった。
山道以外のところ、道路のところは、一人のときは歩き読みをしていた。
途中で歩くのをやめて休憩して、道端で夢中になって読んだものだった。
家に着く頃には1冊目は読み終えていることが多かった。
本は私に知識と、考える力を授けてくれた。
感謝している。
齢60を越えた今、今後を見渡すとき、青雲の志は持ちたいが、物の蓄えは大して必要ないだろう。